ゆっくり関西旅行をしたとき、素子はこのおつまはんの斡旋で高台寺の粋な家を宿にした。その宿へは素子の従弟に当る縮緬《ちりめん》問屋の若主人だの、里栄、桃龍だのという賑やかな人たちが毎日出入りした。伸子は、相変らずの学生っぽい白襟のなりで、自分一人だけの東京弁を居心地わるく感じながら、はにかんで、色彩の入り乱れたその仲間に坐っていた。素子は、小説を書こうという人間が、何さ! と、屋台の寿司を食べたことのなかった伸子を、そういうなかに引き入れるのであった。伸子は、それを口ぐせに自分が育てられた道徳論を肯定していなかった。女にあてはめられる生活の常識にも本能的に抵抗していた。そうではあるが、素子が格別疑問もなく習慣としているおつまさん仲間との饒舌な、馬鹿笑いの多い遊びづき合いにも、とけこめなかった。すぐ飽きて倦怠した。
「おつまさん、ここへ泊めなけれゃいけないのかしら」
 気がかりそうに伸子は、くりかえし質問した。
「泊るのはどうせよそだろう、あのひとのことだもの。一人で来るんでもあるまいし、……だけれど、来たら放っちゃおけないよ」
 この家へ、おつまさんが京都からもって来るある空気が吹きとおるのだろうか。高台寺で、素子が酔った晩、桃龍たちがよってたかって素子に、里栄の派手な青竹色の縞お召の着物をきせ、紅塩瀬に金泥で竹を描いた帯をしめさせた。浅黒い棗形《なつめがた》の素子の白粉気のない顔は、酔ってあか黒く脂が浮いて見え、藍地に白でぽってり乱菊を刺繍した桃龍の半襟の濃艶な美しさは、素子の表情のにぶくなった顔を、ひときわ醜くした。素子は、なんえ、これ! かわいそうなめにあわさんといてくれ、頼むぜ、といいながら、その青竹色の着物の褄をとってはしごをよろめき下り、せまいその家じゅうをぞよめきまわった。「黒んぼの花嫁! 黒んぼの花嫁!」そう叫んでさわいでいる桃龍たちの声を二階でききながら、伸子は、とりちらされた広間の床の間のかまちにぽつねんと一人腰かけていた。まともな誰のめにも醜く見える素子を、ああやって囃《はや》し、その様子に笑いこけている人たち。それを不愉快に感じるのは、野暮だというこういう世界のしきたり。伸子は、暗いこころで痛烈にその雰囲気を嫌悪した。
「おつまさんが来たら聰太郎さんにたのんで、どっかよそでもてなしましょうよ」
 従弟の聰太郎は、東京の支店づめで日本橋のそばの店
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