多計代は、しばらく会わなかった伸子を、しらべるように上下に見た。
「どうしているの?」
「――きょうは、ちょっとお願いがあって来たところだったの」
「へえ……」
 父ひとりのつもりのところへ伸子が来て、何をたのもうとしたのだろう。多計代は、あらわに、そういう表情をした。
「何の御用かしらないけれど、わたしは、ちょいと着物を着かえさせてもらいますよ」
 いれちがいに、響く足音をたてて、兵児帯をまきつけた泰造が入って来た。
「どうです!」
 伸子に向って、泰造は握手するように手をさしのべた。
「たいしたことになったじゃないか」
 黙ってさし出された父の手を執って、伸子は甘えるような、ばつのわるいような笑顔をした。電話口で父とその話をしたとき、それからあの角でクラクソンの音をきいたときまで、伸子は自然な亢奮でよろこび、素晴らしいでしょ? お父様。だから行けるようにしてね、という心もちで急いで来た。多計代が偶然かえり合わせたことは、伸子の単純だったこころもちを複雑にした。
「それで、どういうことになってるんだい?」
「旅券はおりたの。裏書だけのことなんだけれど……」
「それゃ早速、あした藤堂君のところへ行ってみよう。お前も一緒においでなさい、その方がいい」
 そこへ、多計代が戻って来た。
「どこへいらっしゃろうっていうんです?」
 坐りながら、
「お父様、あしたは隅田さんがあるのをお忘れになっちゃ駄目ですよ」
「あれゃ午後五時からだ。こっちは午前中にすむよ――伸子がロシアへ行こうっていうんだ」
「――ロシア?」
 多計代は、その三つの音を、ながくながくひっぱって発音した。そして、ほとんどうさんくさい、という眼付で伸子をかえりみた。なめらかで色つやの美しい多計代の顔に浮んだその表情をみると、伸子はせきこむような苦しい思いになった。早口に、
「文明社から出る全集のお金で行くことになったんだから、その方は心配して頂かなくていいの」
と云った。
「旅券の裏書のことで、お願いに来たのよ」
「へえ……」
 まだ半信半疑という目の色で、伸子を見ながら多計代はダイアモンドの指環のはまった手で自分の鼻のわきを撫でるようなしぐさをした。
「――それで……いつ立とうというの」
「それゃ、裏書ができしだいだわ」
「もちろん吉見さんも一緒なんだろう?」
 伸子が口を開かないうちに、泰造がわきか
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