面ばかりつよく感じられて一層伸子の理解が戸惑わされた。
 伸子は、そのとおりを浴衣のひとに話した。
「なるほどねえ――そういう風なものかな――しかしわかりますよ」
 力を入れて、くりかえした。
「あれが、わからないなんてことはないはずだ」
 そして、いくらかむっとしたように、
「それは君がわざとわかろうとしないんだ」
といった。
「どうして?」
 伸子は縁側にしゃがんでいて、思いもかけない表情になった。
「どうして、わたしがわざとわかろうとしないなんて、あなたに、わかっていらっしゃるの?」
「…………」
「いま、はじめてお会いしたばかりだのに――」
「いや、いや、そういう意味でいったわけじゃない」
 伸子は、本当にそれがどういう人なのか知りたそうにまた、
「――あなたは、どなたなんでしょう」
とつぶやいた。しかし浴衣のひとは黙ったまま、手にもっている雑草の穂を指の間でクルリ、クルリとまわしていたが、やがて、吸いきったタバコでもすてるようにそれを足下にすてて、
「――どうも突然、失敬しました。いつか北條一雄の本はよんで見られるといいと思うな」
 そういって、伸子があいさつをする間もなく、柘榴の枝かげに身をかわして、門の外へ出て行ってしまった。その白い浴衣の後姿に黒い兵児帯が伸子の目にのこった。

        二十三

 不意に柘榴の樹かげからあらわれて、伸子が一人で金魚鉢を見ていた縁側によって来た男は、何者だったのだろう。どういう意味で、北條一雄の本のことや篠原蔵人の書いたものについてばかり話して行ったのだろう。それらの本や論文について、伸子が、わざとわかろうとしないんだ、というようなことを、どうしてその白い浴衣のひとは云うことができたのだろう。
 素子が夕方帰って来たとき、伸子は、その不意な来客について話した。
「まるで知らない男かい?」
「知らないわ……」
「近所に住んでいるらしかった?」
「そうとも思えなかったけれど」
 素子は、煙草の煙が夕風に流れる方角を追うように庭に目をやっていたが、
「ここが流通なのも考えもんだな?」
と云った。門から玄関までの通路と庭との境に、垣根のないことをいうのであった。
「どうもこの節は、えたいのしれないものが頻々《ひんぴん》とやって来るね」
 きょうの不思議な客ばかりでなく、いつか来た三人の、よごれで光った青年たちのような若
前へ 次へ
全201ページ中160ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング