って、……」
 一音ずつ鳴らすピアノのようにのり子は話す。その一つ一つは、一つ一つとしての音色をもって鳴っている。そこから伸子にはっきりわかって来た、のり子の豊田淳への傾倒は、どういう内容で展開しているのだろう。
「わたくし……どうしようと思っていますの、もう、あっちからは引き上げて来てしまおうかとも思って――」
 のり子の調子は、住居をうつすばかりでなく自分の感情も、あっちから引上げて来た方がよかろうかと意味しているようにきこえた。
「わたしにはわからないわ……勉強の方はどうなの? もう論文だけでいいの?」
「ええ、そちらは、まあどうにでもなるようなものですけれど――」
 夏の若い女のほんのり美しい顔色に、重いかげがさしよって来た。のり子のふっくりしたまぶたや顎のところが、上簇《じょうぞく》まえの蚕の肌のような鈍い透明な色になった。伸子にのり子のせつなさが感染した。伸子は、力を入れて棹をつっぱって、二人がのっている話しにくさの小舟を、流れのなかへつき出した。
「ほんとに――論文なんかどうにだってなるもんでしょう……」
 いきなり問題の中心に飛躍して、伸子は、
「具体的に複雑なことになっているの?」
ときいた。そして、すぐつづけて念をおした。
「わたし、自分が伺いたいのじゃないのよ、だから……返事なさらないだっていいのよ――ただわたしが無作法な方が、あなたにいくらか便利かと思って……」
「ええ、ありがとう。わかりますわ」
 のり子は、膝においた両手の指で小さいハンカチーフを、かたくかたく細い棒に巻きしめた。
「――具体的ですし――この頃ではもうすっかり発展の見とおしもなくなってしまって……だもんだから」
 苦しくて、というところをのり子は黙って椅子の上で身をよじった。伸子は、豊田淳の書くものを思い出した。そのこった、ふくみの多い主観的な表現と、のり子の言葉のすくない風情との間には近似性がある。その趣が趣をひきつけたところから、のり子として真剣な問題がおこって、初対面の伸子にもむき合わせることになった。のり子の、ひとり苦しんでいる、という様子が伸子に、さまざまの現実を推察させた。伸子は歎息するように、
「いつも女の負担が多いのねえ」
といった。
「なんて、そうなんでしょう!」
 水の中でこらえていた顔をもちあげて、一気に苦しい息をはき出すようにのり子が応じた。
「愛す
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