とって、
「さ、ぶこ、御飯にしよう」
素子が、励ますように、こわい声を出した。
「だらしないじゃないか――そんなに動顛するなんて……」
単純に動顛ということをいうなら、伸子は六七年前に武島裕吉が軽井沢の別荘で女の人と縊死した事件を知ったときの方が動顛した。動顛して、いく度か感歎詞をもらしたし、その葬儀のとき、焼香をしながら涙をこぼし、格式だかい遺族の人々の注目の前に自分を恥かしく感じたりした。動顛というよりもっと複雑なもの、もっと自分の精神にきりこんで来て、何か解答を迫る強烈な衝撃が、この相川良之介の死にある。伸子がしびれたような唇になっているのもそのためであった。
味覚のなくなった舌で食事を終った。素子が、また新聞をとりあげた。そして、「さぞ、楢崎さん夫婦もびっくりしていることだろう」といった。楢崎佐保子のところで、伸子は偶然素子に会ったのだった。「青鞜」のころから作品をかいているこの婦人作家は、良人の専攻であるイギリス文学の系統に立っていて、無産派の文学という問題がおこったころ、謡曲の「邯鄲《かんたん》」から取材した小説をかいたりしていた。あんまり人につきあう習慣のない伸子は、佐保子にだけはおりおり会いに行った。
いつだったか、現代作家の話が出たとき、佐保子は、きわめつけの語調で、
「相川良之介だけは本ものですよ」
と云った。
「あのひとはまがいものではありませんよ。この間うちへ見えたとき、作品が古典としてのこるかのこらないかは、その作品のスタイルによるっていっていましたよ。それは本当だと思うわ」
そして、笑いながら、
「古典になると思ったら、伸子さんもきちんとしたスタイルをもつことですよ」
冗談のように云った。伸子は、いかにも相川良之介のいいそうなことだと思い、
「そうお」
と笑ったが、すぐ、ふっと、それは彼が本気でいったことだったのかしら、と疑われた。文学作品がスタイルだけで古典としてのこるなどということを、伸子としては信じかねた。相川良之介には、彼が彼の背負っている文学的後光そのものをさえ皮肉に感じている口調でいうために、非常に辛辣な諷刺だったり逆説だったりするのに、きくものは文学上の箴言《しんげん》のように考える場合があった。周囲にそういう習慣が出来ているばかりでなく、相川良之介自身、孤独な知的焦躁とでもいう風な意地わるさにとらわれることがあ
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