煖炉前の小卓の上に飾った。
保が二階から降りて来た。そして、立ったまま、伸子が一人だけいるその辺を見まわした。
「なあに? おなかがすいた?」
「そうでもないけど……」
電燈の灯かげがそのガラスにきらめいてはいるが、午後じゅうぴたりとしまったままでいる客室のドアを、こっちの室の中から保が見ている。伸子は保の気持がわかるようでせつない思いがした。
「――もうすむでしょう」
保は黙って視線をそらせ、煖炉前のバラの花を見た。いつもの保であったら、すぐよって行って、その花の品種だの咲きかたのよしあしを話すのに、今夜は遠くから立ったまま眺め、ただ、
「姉さんがもって来たの?」
ときいた。
「きょう、ほんとはお父様のお誕生日だったのよ。知っている?」
「うん」
保はしばらく立ったままでいたが、また二階へあがって行った。
食卓の準備がはじまった。それを見ている伸子の唇から思わずほとばしるような質問があった。
「二人だけ別? どうして? お母さまは?」
「奥様はお客様とあちらであがりますそうです」
「…………」
やっと自分を抑えた声で伸子は女中に命じた。
「きょうは、お父様のお誕生日で駒沢から来たんだから、御一緒にたべられるまでお待ちしています、って。そう申上げて来て」
狭い中廊下をこして、ドアをノックし、女中がはいって行った。そして、お辞儀をして出て来た。
「お待ちにならずに、とおっしゃいました」
伸子は、涙がつき上げて来そうになった。
「すまないけれど、もう一ぺん行って頂戴。待っていますからって――」
元気に階段を降りて来た保が、敷居ぎわで立ち止まった。大食卓の上に、向い合いに淋しく二人だけおかれている食器を見下しながら、歩調をかえて、のろい足どりで入って来て席についた。
「お母様と一緒にたべましょうよ、保さん」
伸子はつよく訴えるように弟にいった。
「その方がいいわ」
「僕、どっちでもいい」
保はこういう生れつきなのであった。
女中が母の分を盆にのせて運んで来た。
「いらっしゃるって?」
「はい」
おつゆが段々冷えていった。そのときになってやっと客室のドアがあいた。同時に、
「おや、こっちは冷えること……」
ひとりごとのようにいう多計代の声がした。
小紋の羽織の袖口を、胸の前でうち合わせるような様子で入って来た多計代を見て、伸子は圧倒される自分を
前へ
次へ
全201ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング