松浦が口ずさみから段々本気になって、声量はとぼしいが正確で地味なバリトーンで歌いだした。和一郎は中学を終って間もなく、そのころ一ツ橋にあった上野の音楽学校の分教場でピアノの稽古を始めた。和一郎はいい耳をもっていた。けれども、分教場の教師が必要と考えるだけ規則的な練習をしなかった。多計代がその教師に会いに行ったとき、その点が批評された。いい耳をもっているのだが、もっと規律的に練習しなければものにならないといわれたのであった。帰って来て、それをみんなに話すとき、多計代はむしろ教師を非難した。規律正しさだけで才能はのびやしない、どうせ分教場の先生をしているぐらいのピアニストだから、いうことに見識がない。――そういう風に話した。和一郎のピアノは、いつの間にかだらだら中止になって、自己流の素人芸に落着いてしまった。
佃との生活にもまれていた伸子は、間をとばしてところどころ、その話を多計代からきいた。そして多計代とは反対な考えかたをもった。多計代は、芸術的な才能とか天稟《てんぴん》とかいうものにたいしてひどく架空な考えをもっていた。自分が日本画の稽古をはじめたときも、しばらくすると師匠が平凡すぎるといって、中絶してしまった。現実には、やっと絹に牡丹の写生が一枚描けるようになったばかりのところで。――多計代は自分や自分の生んだ子どもは一人のこらず、なにか特別な力をひそめて生れついているように思っているようだった。それをのばす方法は誰よりも自分が直観している、と思いこんでいるようだった。けれども実際には伸子にしろそういう母の判断から生じるすべての細目に力いっぱい抵抗することで、やっと現実に自分らしい生きる道も辿りつづけているのであった。
松浦はいくつものリードをうたった。それをしばらく聴いていてから伸子はのどがかわいて茶をいれに食堂へ行った。誰もいないその室の通路に面して北側の腰高窓がみんなあいていた。それは不用心だった。そればかりでなく、掃除しっぱなしでレース・カーテンが一方へ引きよせたままになっている。いかにも、男の子だけが留守をしている家のぞんざいさであった。内側が赤塗りの大きい鮨桶がその中に笹の葉だけをのこして、皿や茶碗と一緒にまだかたづけられず真中の大テーブルの上にひろがっていた。そのテーブルのはしに送り状を紐にまきつけた三越からの届け品の細長い箱が二つ、ひょいと抛《
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