じめな感情にそむいたものと感じられるのであった。
関東の大震災の後、復興のために自動車の輸入税が一時廃止された。
「買うならこういう機会だね」
遊びに行っていた伸子も、両親や弟たちに交って、いろいろの自動車会社から出されたカタログを見た。
「多計代のハイヤー代だけでも相当だし、俺はどんなに能率があがるかわからない……しかし、贅沢な車は駄目だよ。第一、門が入りゃしない」
伸子の知らない幾晩かの相談の末、イギリスのビインが買われた。小型の黒い地味なビインにふさわしく、小柄で律気な機械工出の運転手の江田が通いで雇われた。江田は一風ある男で、はじめて来たとき、お仕着せは絶対にことわった。佐々のお古を頂きたい、と約束した。そして、お下りのハンティングをかぶって、毎朝八時というと、小柄の体をひどく悠然と運んで通って来るのであった。
いま、竹垣のそとにホースをつかっている江田の姿を目にうかべ、伸子は、思わず一人笑いをした。父をなつかしむ笑いをもらした。泰造は米沢に生れて、イとエの発音がさかさになることがあった。字でかけばちゃんと書いたが、発音では逆になった。江田が運転手になったとき、佐々は伸子に、
「運転手が、いい男でよかった。イダっていうんだよ」
と教えた。伸子は井田というのだと思って、そうよんでいた。
そしたら、あるとき、
「これを井田におやり」
と伸子にわたした祝儀袋の上に江田殿と書いてあるのを発見した。
「あら! お父様、エダじゃないの」
「そうですよ、イダだよ」
「――……」
伸子は笑いくずれるように父の肩ごしに祝儀袋を見せた。
「これ、何ておよみになるの、お父様は……」
「イダさ」
これはしばらく佐々の家の一つ話になった。とんちんかんなことがおこると、
「ホラ、イダだ」
と笑った。
一つの家庭の歴史にとって、自動車が出来るということは、生活全体に深い影響があることだった。日本のように、どの家庭でも便利のためにフォード一台もっているのが普通というのでない国では、一台の自動車は、それがどんなに見栄えのしない小型のビインであろうとも、自家用車をもっていることであり、そのことは便利以上の何ごとかを、この社会で表現することなのであった。
江田をイダ君と呼び、どっさり車の集っている場所で、江田がききわけやすいようにと特別のサイレン風の小さい呼子をふきながら、佐々
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