い。其を、来るなと云われ、然も百合ちゃん丈は、自由に出入りされるのかと思うと、どうしたって、僕は淋しく思わずに居られないじゃあないか」
 善悪を抜き、自分にはAの心持が気の毒に思われた。同時に又、其だけの心持、其だけの真実を、何故、母に、まともから話されないのだろう、と思わずには居られない。母は、所謂理性的で、理論から行かなければ合点をしない人のようでもあるが、決して、感動の出来ない人ではない。動かし得る、否、動き易い熱情を持って居るとさえ云えるだろう。彼が、真剣に、熱を以て、自分の真心を現しさえすれば、きっと、より広く彼自身を理解させることが出来るに、違いないのである。
 性格と性格の組合わせで、母のような人には、相手からフランクに出なければ永劫うまく行かない。処が、Aは、自分に観察的であるなと直覚した者に対しても、猶、朗らかで、構わず自分を表わす丈の、大きさはない。誘い出される好意がなければ出て来ない。一方、母は、客観的に、冷静に、如何う働くか、彼の心の様を観ようと云うのであるから、其間に、どうしても一種、渡り切れない氷河がある。
 私は、母に対して、何より先に、まず愛そう、と云う暖さのないものを歎くと共に、Aに対しては、彼の独善的な、小さい、大らかでない心情を、情けなく思わずに居られないのである。
 斯様な、デリケートなことは、仮令《たとい》一日一晩、私が泣き明したとて、一時に、どうなるものでもない。
 此事を話した時にも、自分は胸に迫り、涙を流さずに居られなかった。
 どちらもいとしいのだから、どちらも仲よく、心を開いて打ちとけて欲しい。睦しい団欒がしたい。虫のよい願いかもしれないが、自分は、父母良人、弟妹と、皆、一つ心で笑い、働き、楽しみたいのである。
 大晦日の晩、自分等は予定通り、吉田さんの処へ行った。人数は差程集まらなかったが、何と云っても、鍋から、おこげを分けて貰って食べた友達である。紐育時代のこと、結婚した友人の誰彼のこと。話したりカードを遊んだりして居る最中に、遠くの方で、百八の鐘が鳴り始めた。近所に寺が少ないと見え、あまり処々には聴えない。静に一つ一つ、間を置いては突き鳴らす音が、微に、ストーブの燃える音、笑い声を縫って通って来るのである。
 皆、他の人は心付かないように見えた。けれども、自分は、手に賑やかな骨牌《カルタ》を持ち、顔は明るく笑
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