からと話の種を出される。然し、自分には、何より旅舎の部屋が懐しかった。どんなところだろう。先ず一やすみと椅子に腰を投げかけた心持が、何ともいえない快よさで想像に浮ぶ。旅舎独特のこぢんまりした手綺麗さ。――
心を他にとられて、短い言葉で応待する自分の眼には、日曜の朝とは思われず雑踏した街上の有様が映った。
非常に花屋が多く、可愛らしいカリフォルニア・ローミや菫や名も知れない花々を、美しく籠や壺に盛って、歩道一杯に飾ってある。砂漠を昨日通った瞳には、実に鮮やかな香りたかい感銘を与えた。
突然、大きく街角を曲って、自動車がとある建物の前に止ると、自分は、訝っと外を覗いた。
ここが旅舎なのだろうか。
自分で運転していたX氏が先ず降りる。良人も降りる。私もX夫人と前後して、その硝子扉の前に立ったけれども、心は失望せずにはいられなかった。建物の外見や広間《ホール》の調子は、まるで自分の想像していたのとは異っている。
昇降機のところで職人が四五人、乱暴な調子で喋りながら仕事をしてい、床には敷物もなければ、飾り植木の鉢もない。皮張椅子に、詰らなそうな顔をした男が二三人、煙草の隙から我々を見守っているのだ。
私は思わず良人の方を見た。彼は横顔を向け、カウンタアで、X氏と番頭とが定めた部屋について話している。彼の、知って見ると強いて快活にしているらしい表情が、自分に、「膨《ふく》れずに。膨れずに」と合図をしているように受けとれる。
夫人は、この家は古くて、派手ではないけれども昔から、静かなのが好きな人の泊るところとして知られているとか、ちょうど手を入れていて散らかっているが、とか、説明される。
なるほど、三階にとれた我々の部屋は、決して下等とはいわれなかった。家具も間に合わせではない。然し、控え間と寝室とを持ったその一区切りは、余り広く、大業にがらんとしていて、隅々から自分の喋った声が反響でもして来そうに思われる。
然し自分が、今度の旅行では、特別に旅舎やその他居場所に敏感なのを心付いた私は、丁寧にX氏の手数を感謝した。
夫妻は、今晩、うちへ晩餐に来るように、一やすみしたら、オールド・ミッションでも見物したらよいだろうと云い置いて帰って行った。
「ここは何という家なの?」
暫くの後、私は、古風な大鏡の前に立って髪針《ピン》をとりながら、良人に訊いた。
「ここ? ウェストミンスタアさ」
「ほんと?」
私は、覚えずくるりと振向いて、窓際の長椅子にいる彼を見た。
「ほんとうにウェストミンスタアなの?」
「ほんとですよ。何故?」
そう云いながら、私の驚いた顔を見ると、彼は、さも可笑しそうに、は、は、と笑い出した。
「まあ! ウェストミンスタアなの、これが!」
やがて、私も、堪らなく笑い始めた。
こんな、がらんどうな古旅舎が、ウェストミンスタアだとは、何という滑稽な皮肉だろう。
私共が、結婚するとき、自分達の小さい部屋を、ウェストミンスタアより尊いところだ、と云い云いしたことがあった。それはもちろん、倫敦《ロンドン》の国立大寺院を指していたのだ。四月頃、欧州へ渡ったら、是非行って見ましょう、と空想していたところだ。それが、大西洋は渡らず、アリゾナの砂漠を横切って、こんなウェストミンスタア・アベーに辿り着いたとは、云い難い一種の淋しさと滑稽とを感じずにはいられないのだ。
初め、陽気に声をあげて笑い出した自分は、だんだん真顔になって、鏡の面を見つめた。
風呂をつかい、さっぱりと髪を結いなおし、軽い絹服に換えると、私は良人と連立って旅舎を出た。
天気はいかにも暖かで、厳めしい客間に閉じ籠ってはいられない心持を誘い出す。先刻、夫人の云ったオールド・ミッションの一つに行って見ようというのである。
いったい、この辺に、オールド・ミッションと総称されている古い修道院は、非常にたくさんあるらしい。カリフォルニアが、まだ闘牛士《トーレアドール》の王の支配の下にあった時分、遠いスペインから、多数の伝道者が渡来した。千七百、八百年代の命がけの航海の後、彼等はメキシコやその他地図に名も載せられないような海岸から、次第次第に幾年もかかって、内陸に巡教して来た。そして、当時、住民の大多数を占めていたらしいメキシカンやインディアンを手懐《てなず》け、教え、毎日生命を危険に曝して、ところどころに修道院を建てた。旧教で、ロスアンジェルスの附近には、時にフランシス派の伝道が行われたらしい。
我々が行こうというのは、サン・ガブリエル修道院で、市の中心から電車で小一時間の距離にあるところなのである。
紐育などで、日曜というと、朝はまるで無人境になったように静かだ。十時過頃から、そろそろ晴着をつけて白い手袋を穿《は》め、教会に出かける往来が繁くなっ
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