見晴らせ、涼しい朝風が吹いている。私と弟たちとは、雨のために表面だけ薄くかたまったような湖畔の砂の上を歩いて行った。時々ふりかえって手を振った。宿の二階の窓から、おばあさんが顔を出してこっちを眺めているのであった。
 その辺は、湖のまわりに農家がまばらに在るきりで、樹のふっさりとした茂みの下に小舟が引上げられているのを見つけ近づいて見ると、底が朽ちていて、胴の間を抜いて砂地からの雑草が生えている。湖のそばだというばかりのさびれた在所なのであった。
 私共は何か湖へ来たらしい面白さの種をさがすような気持で、その辺を所在なくぶらついた揚句、湖へ掘割の水が流れ入る堰の上へ出て行って見た。そこからは湖心へ向って五六間の細長い石畳みの堤が突き出ている。
 私はぶらぶらとその突ぱなのところまで行ってみた。そして湖に向って腰をおろし、足をひろげるようにして下を覗くと、底まで蒼々と透きとおった水の中に三四寸の小魚が群をなして泳いでいるのがはっきり見えた。底の方を泳いでいる魚や石ころは黝ずんで見えて、その辺の水の深さと冷たさとが感じられる。
「ほら、ほら、何かつかまえたわ! 見える? 右の方へ行っちゃった!」
「随分小さいのもいるね」
 私と上の弟とは並んで腰かけ、砂へ左右の手をついて上体を折りまげ水をのぞきこんで眺め興じたが、気がついて見ると次の弟だけ一人離れて、その突堤のずっと手前のところに立ってこっちを見ている。我々のいるところからは三間たっぷり離れていて、汀に近く、そんなところに立っていたのではとても水の底の小魚は見えないのであった。私は振向いて、
「道ちゃんおいで」
と手招きした。
「魚がいるよ」
「ウン」
 間をおいて思い出してはふりかえって、二度も誘うのに動かないので、
「何故来ないのさ、おかしなひと!」
 私は思わずむっとした声を出した。この弟はよく私に対してこういう態度のことがあった。私はいやな気持で黙ってしまった。
「道ちゃんおいでよ」
 穏やかな口調でやがて上の弟も誘った。それでもなお同じところから一歩も近づかず、次の弟は暫くして独言のように呟いた。
「姉弟《きょうだい》だって仲のいいのは小さい時だけで、大きくなれば何をするかわからない」
 私はむっとしたさっきの気分のつづきで湖面へ顔を向けたままであった。が、だんだん弟の云ったことがその場所と自分たちの姿勢とに結びついて理解されると、腰かけたまんまの自分の体がスーと宙に浮いて行くような恐怖を感じた。一緒に並んで腰をかけないのは、そんな用心からであったのか。十三の弟一人だけがそういう心持を持っている。そのことは恐ろしかった。やっと辛棒して私は二三分元のままの姿勢でいたが、到頭我慢しきれなくなって、湖に向ってぶら下げていた脚をそろり、そろりと片方ずつ引上げた。
「――帰ろうか」
 上の弟も私に声をかけられるのを待っていたように直ぐ立ち上った。私たちのこわくなった心持を知られるのも一層こわいようで、砂地で待っていた次の弟と黙って一緒になり、私共は出たときどおりの三人組で宿へ戻った。
 午後になるとまた雨が降り出した。私共は雨中の山峡に汽車の白い煙が窓を掠める間を引上げて、湖から帰った。
 おばあさんの家へ帰ってからも、それから後も、次の弟は二度とあんなことを口に出さなかった。私と上の弟とは余りぞっとしたので、却って互にそれを口に出して話すことが出来なかった。姉弟三人で草っ原にころがって綺麗な夏の夕焼空などを眺めたりしている時、不図あの言葉を思い起すと、私は自分の力では拭い消すことの出来ない黒い斑点が自分たちの生活にしみつけられたことを感じた。そしてその黒い一点はいつ見ても同じところにある。時には云った本人の弟は忘れていて私だけがハッキリそれを思い出していることを感じることもある。そういう時私は恐怖と嫌悪の混りあった激しい感情で喉元をしめつけられるのであった。
 次の弟は六つばかりの時、母の実家へ相続人として養子にゆき、姉弟の中で育てられながら一人だけ姓が違っていた。私や上の弟とは違って、彼だけは通知簿を母方のおばあさんに見せなければならなかったし、その度に、七十近くなって息子を廃嫡しているおばあさんは頼ろうとする孫にくどくどと云い、母もついそれにつれて、勉強おしとか、お前はほかの人とはちがうんだからとか、次の弟に責任を自覚させようとするのであった。
 この弟だけが姉弟たちのことを、母へ告げ口をした。
 私が十九の年、この弟は腸チブスから脳膜炎にかかって亡くなった。十五歳であった。田舎のおばあさんは歎いて、
「いたましいことをしたなあ。お前のおっかさんはあの舎弟息子を呉れてやって、ちっともめんごがらなかったでねえか」
と云ったが、それは違った。母は次の弟を決して愛していないのではなかった。ただ、幾人もの姉弟の中で、たった一人自分だけ姓がちがい、自分だけに絶えず注目され、彼としては意味ののみこめない責任を感じさせられて育っている余り俊敏でない少年の感情の鬱屈が、母には分らなかったのであった。死ぬ前日、急に意識がはっきりしたとき、この弟は母に、
「僕、ほんとうにお母様の子なの」
と訊いた。母が涙を落しながら、そうだとも! どうしてそんなことを訊くのと云うと、
「そんならよかった。うれしい」
と溜息をついた。そのことを、後から話して母は激しく泣いた。そして、
「道ちゃんを中村家の後つぎにするという話があったときだって、私は気がすすまないでね、何度もおことわりしたんだけど、恰度おばあさまがいらしてその話の最中に、どういう工合だったのか真白い鳩が飛び込んで来て神棚へとまって行ったんでね、到頭私も道ちゃんをやる決心をしたんだけれど……可哀そうに」
とかこった。
 一ヵ月ばかりしてから、私はこの弟が殆んど敵意を示して誰にもさわらせず、自分の中学生らしい勉強机の傍に置いていた小棚を、非常に複雑な好奇心と恐怖とをもって、そっとあけて見た。中からは、桃谷にきび[#「にきび」に傍点]とり美顔水の藍色の空瓶ばかりが、ごろごろと出て来た。



底本:「宮本百合子全集 第五巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第五巻」河出書房
   1951(昭和26)年5月発行
初出:「中央公論」
   1935(昭和10)年10月「中央公論」五十周年記念特大号
入力:柴田卓治
校正:原田頌子
2002年4月22日作成
2003年7月5日修正
青空文庫作成ファイル:
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