置かれるので、不満めいた気持になるのです。牽かれるのは、その感覚的な明るさ。或るところで、何だか悲しく溶けこみきれないのは、作につきまとっている一種ちらちら、ひどくちらつくもののためではないでしょうか。峰から峰へとぶのに、弁天様の着物のように沢山の襞や色どりが翻るようなのだ。今に、その点が洗練されたら、持ち前のよいものが純粋に立派に輝き出すと信じます。(――特色をなす多くの襞や色どりの各々を、真にユニークな作者自身の感覚で、生一本に、純に、強く感覚することによって。)
[#地付き]〔一九二五年十月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「婦人公論」
   1925(大正14)年秋季特別号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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