のだった。
考えてみると、母はよくその頃、養源寺へお詣りに行った。子供たちの父親がロンドンに行っている留守でひまだったからというばかりが動機ではなかったと思う。母方の家は、ごたついていて龍太郎さんという母には甥に当るあとつぎを廃嫡した。その父の、母の兄に当る一彰さんというひとも前から勘当されて神田の方に謡曲の師匠をしていた。
龍ちゃんと云われた母の甥は横浜のラシャ屋へ婿に行った。行ってみたらば姑に当る四十こした後家が水色のゆもじを出して立て膝で酒をのみ、毎晩ばくちを打つ。その上、はたできいている子供たちには諒解されないもっといやなことがあって、龍ちゃんがインバネスをきたまま火鉢にまたがるようにして、母に「いくら俺がやくざだってよくもあんな外道の巣へ追いこみやがった」とおこって云っていたことがあった。世話をしたのは、母ではなく親戚のうちの誰かだった。龍ちゃんは、その婿になって行った家から出ようとしていた。「娘だって、何をしているのかしれたもんじゃないさ」とも云った。そういう有様で、祖母はわたしの下の弟を相続人として養子にするという話をもち出していた。きっと、その前後、母はロンドンにいる父に相談するにも遠すぎるいろいろの心持から祖父の墓詣りをしばしばする心もちになっていたのだったろう。
紛糾しつづけている西村の家へ下の弟を養子にやることを母は躊躇しきっていたのに、到頭それを承知してしまった。あとからこのことは家庭内の悲劇となったのだが、母が道ちゃんとよんだその弟を西村という姓にすることを承知したきっかけは、鳩だった。
祖母と母とが、その日も南向きの茶の間でしきりに話していた。話すというより、むしろ、すこし喧嘩っぽく論判していた。わたしたちは大人のそういう雰囲気に影響されて、ふだんよりおとなしく庭で遊んでいた。すると、急にどっかからつよい羽音がきこえたと思うと、茶の間にいる母の、
「あらっ! 鳩! 鳩!」
という叫び声がきこえ、同時にすーっと軒さきをくぐるようにして、ほんとに白い鳩が家のなかからとび出して来た。
「鳩が入って来たのよ――鳩だったろう?」
いそいで、縁側に立って来た母が、息をはずまして、鳥のとび去ったこぶしの梢の方をみた。
あっけにとられた子供たちの目には、いきなり座敷へとびこんだ鳩よりも、縁側にかけ出して来て外を見た母のひどく動かされた表情が異
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