番のところだった。どっさり手桶が重ねてあった。せまい土間に、赤い紙を巻いた線香と、水にさしたしきみ[#「しきみ」に傍点]やその季節の花がすこしあって、一緒に行った大人が、お線香やしきみ[#「しきみ」に傍点]を、そこで買った。そして、西村氏と姓を書いて、矢車のすこし変形したような紋がついている手桶を出させ、さて、一行は、庫裏のよこてから、井戸へゆくのだった。
 いよいよ井戸へ向うことになると、子供たちは勇みたった。それは、もう牧田の牛が目のさきだからだった。けれども、わたしにとって、もう一つ関所があった。
 古風な鎖でたぐる車井戸へゆく右手に、十ばかり地蔵の並んだところがあった。その地蔵はどれも小さくて、丁度そこの前をとおってゆくわたしたち子供ぐらいの高さに、目鼻だちのはっきりしない、つるりとした頭の、苔のついた顔々をならべている。古びきって朦朧とした顔に苔をつけて立っている小地蔵たちは、いろんな色のきたないよだれかけを幾枚もかけていた。その上、地蔵のどれかには、女の髪の毛のきったのが、赤茶けた色をしてつる下げてあった。
 それらの地蔵たちは、何と不気味だったろう。自分たち人間の子供と似たような大きさで、どっさりいて、しかも気味わるい格好をしていることが一層こわかった。
 牧田の牛は、この地蔵たちの前を通りぬけ、井戸からすこし先の竹垣のこわれから、よくみることが出来るのだった。
 寺の方がすこし高みになっていて、牛のいる牧場はかなり下に見おろせた。今思えばいかにも市中の牧場らしく、ただ平地に柵をめぐらされているだけのその牧場だったが、そこに、いつも四五頭の乳牛が出ていた。白と飴色のまだら、白黒のまだら。ちょっとおしりのところと角のところだけ黒くて、あとは白いの。子供たちは竹垣のやぶれに並んで、牛を眺めたまま、ほとんど口をきかなかった。あんまり牛はおもしろかったし、いくらかこわくもあった。牛たちは、おだやかで暖い春の光をあびながら、かたまっていると思うと、そのうちの一頭がゆるりとかたまりからはなれて、歩きだす。するとまたほかの一頭も動き出して、かたまりはほぐれ、あっちに一頭こっちに一頭と見られる。
 かたまりがほどけはじめて、一頭の牛がこっちを向いて重そうに、ゆっくり歩いて来ると、竹垣のこちら側で見ている三人の子供らは、緊張の極に達した。身動きできないようになって、歩い
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