ような、いやなような気持がした。下島のおじさんは、時々夜なかに酔っぱらってかえって来て、中の口の戸をドンドン叩いて母にあけさせることがあった。そうでないときは、いつも玄関わきの「おじさんの部屋」で新聞ばかりよんでいるか、台所に来ているかした。子供たちと一緒に御飯をたべなかった。台所の三畳たたみの入っているところで、つかわれている人たちと食べた。母が拒んだらしかった。下島のおじさんと遊ぶことも禁じられていた。
たしかに、下島のおじさんは妙なことを教えた。わけのわからない匂いのことを云ったり、指の変な形をしてわたしたちに見せて、知っているかときいた。子供たちは、匂いのことも、指の形も知らなかった。おじさんは説明しない。自然、子供たちは、お母さま、ああちゃん、とそれぞれのよびかたで母に向って、おじさんからきかれたことをそのままくりかえして、なあに、ときいた。そのたびに、母は顔色をかえるぐらい怒った。子供のきくことに答えるよりさきに、下島のおじさんをよんで、面と向って、はげしく罵るぐらいに怒った。母の怒りがあまりつよいから、母とおじとをとりまいて息をこらして見物している子供の心には母の怒のはげしさに焼かれ清潔にされたように、おじさんの云った変なことより、母の迸る憤りがやきつけられるのだった。
富樫という書生もいた。書生といっても髭をはやしていて、おかみさんもうちにいた。おかみさんの方が、富樫よりも体が大きかった。富樫さんはノミの夫婦と云われていた。そばかすが頬にあるのを、わたしは珍しく思った。そして、はつ[#「はつ」に傍点]、これなんなの? と云って頬っぺたの雀斑をさわった。そしたら、はつ[#「はつ」に傍点]は、乱暴にくびをふってわたしの指をはらいのけ、どうせ、はつ[#「はつ」に傍点]はお母さまのようにきれいじゃありませんよ! と、わたしを自分のそばからつきのけた。そう云いながらぐんとつきのけた。その感じからはつがきらいになったほど、荒っぽくつきのけた。
このはつ[#「はつ」に傍点]は、ある朝いきなり北海道からうちへ来た。そして、富樫とひどい喧嘩をした。紫の紋羽二重の羽織に丸髷で、母のところへ挨拶につれて来られても、母に何か云ってくってかかった。このときも、母は非常におこった。お前にこそ、富樫でも大事な御亭主だろうが、このひろい世間で、あんな男一匹が、という風に、母
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