オ居たるなり。その心を思いやれば涙を禁じ得ず。動坂の家へ出入りしている遠縁の青年がよばれた。父と和一郎とは土蔵の地下室のガラスをそとからこわして、僅かなそのすき間から二つの扇風機で地下室の空気の交換をはじめた。土蔵の地下室の窓は、東と西とに二つあったが、どっちも半分地面に出ているだけだった。一刻も早く換気せんとすれども、折からの雨にて余の手にある扇風機は間もなく故障をおこし、操作は遅々としてすすまず。――涙があふれて伸子は字が見えなくなった。幾度も幾度もくりかえして伸子はそのくだりをよんだ。父の涙とまじって降る雨のしぶきが顔をぬらすようだった。
 動坂の家でそういう切ない作業がつづけられている間に、よばれた遠縁の青年が、福島県の桜山の家へ避暑している多計代の許へやられた。多計代をおどろかさないために、とりあえず、保さんはこちらに来ていませんか、とたずねて。
 つづけてその先へよみすすんで、伸子は涙もかわきあがった両眼をひきつったように見開いた。手紙をもっていた手が膝の上におちた。やがてまたそれを目に近よせて熱心によみ直した。保は三月の下旬に一度死のうとしたことがあって、さいわいそのときは未然に発見されたと泰造は書いているのだった。三月下旬のある晩、まだ高校が春休み中だった保もまじえて、みんなが賑やかに夜をふかし、保だけをのこして、両親は二階の寝室へあがった。寝ついてしばらくたったとき、泰造はふと、いつも眼鏡、いれ歯、財布、時計などを入れて枕もとにおく小物入れの箱を食堂へおきっぱなしにして来たのを思い出した。泰造が階下へおりて食堂へ行こうとすると、真暗な廊下にひどくガスのにおいがした。廊下をはさんで食堂と向い合いに洋風の客間があって、そこにガスストーブがおかれている。泰造はそれを思いだしてスウィッチをきって、客間の電燈をつけた。そして、内から鍵をかけたその室にガスの栓をあけ放して保が長椅子の上に横になっているのが見つけられた。保は廊下に面した小窓が外からあくのを忘れていたのだった。その夜は母も保も共に泣き、余も思わずもらい泣きをした。こういうことがあったから、東京から行った若いものが多計代に、保さんはこっちへ来ていませんか、ときけば、それで十分母の多計代にとって保の身に何事かあったという暗示になる。そのいきさつの説明として泰造は伸子への手紙に書いているのだった。
 なんということだったろう。そんなことがあったのに、長い夏休みじゅう、留守で、がらんとした、男と女中ばかりの動坂の家へ保を一人おいておくなんて。伸子には、そんなうかつさを信じられなかった。三月に、死のうとした保が見つかったとき、母も保も共に泣き、余も思わずもらい泣きをしたと泰造は書いている。それきりで、泰造や多計代が、どんなにして死のうとして失敗した息子の保をなぐさめ、愧しさから救い、生きる方向へはげましたかということについては、書かれていない。多計代は、そのとき保とともに心ゆくばかり泣いて、死のうとした保の純情に感動して、それで自分としてはすんだように思ってしまっていたのではなかろうか。さもなくて、どうして、夏、がらんとした動坂の家へ保をおいて自分たちだけ田舎へ行ってしまう気になれたろう。伸子は、くちおしさに堪えなくて、自分の拳《こぶし》で自分のももをぶって、ぶった。伸子たちがモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来る年――去年の夏、相川良之介が自殺したのも八月だった。その何年か前武島裕吉が軽井沢で自殺したのも八月だった。どちらのときも、その前後は、ことのほか暑気きびしく、と書かれた。ほんとに保が多計代の|情熱の子《パッショネート・チャイルド》ならば、何かの不安から保のそばをはなれかねる気分が多計代になかったという方が、伸子にすれば納得しかねた。父の泰造も、三月のとき、保に自殺の計画をわすれさせ、生きさせるために何一つ強硬な努力を試みていない。――ほとんど、ずるずるに、こんどのことまで来ている。保がメロンの駆虫用ガスの効果をしきりに研究していたことについても何一つ勘を働らかせないで。――
 去年の夏、相川良之介が死んだとき発表された遺書を、もちろん保も読んだだろう。その遺書の中に、生きるためだけに生きるみじめさ、と書かれた観念は、全く同じ内容ではないにしろ、保の日頃の考えかたと符合していた。あのとき、伸子はそのことを考えて不安だった。相川良之介の葬儀のかえり動坂へよったら、保が、涼しいからと云って土蔵の地下室を勉強部屋にしていた。そのことも、不吉感として迫った。その不吉感がつよいだけに却って伸子はこわくてそれを母にも素子にも云えなかった。きょうとなってみれば、予感にみたされていたのは一番自分だった。伸子は自分にさしつけられた事実としてそれを認めた。だのに、自分はつまるところ保のために何もしなかった。自分はソヴェトへ来てしまった。――自分が生きるために。
 自分の悲しみに鞭をあて、感傷の皮をひっぺがそうとするように、伸子はきびしく先をよんで行った。父の手紙には、悲歎にくれる多計代の姿はひとつも語られていなかった。桜山へ行った青年から保が来ていないかときかれて、あることを直覚した母は、つづけて届いた保キトク、保シキョの電報を、むしろ落付いてうけとった。母は急遽つや子同伴、桜山より帰京した。その夜は、清浄無垢な保に対面するには心の準備がいるとて一夜を寝室にこもり、翌朝はやく紋服に着かえ、保の柩《ひつぎ》の安置されている室へ入った。
 伸子はそのくだりをよんで恐ろしいような気がした。多計代の悲しみかたは、泰造や伸子のむきだしのおどろきや涙と何とちがっているだろう。死んだ保を崇高なものとして、保のその心は自分にだけわかっていたというように、とりみださなかった母としての多計代の態度は伸子を恐怖させた。多計代が悲歎にとりみださなかったということは、伸子に、口に言えない疑惑をもたせた。多計代は、いつか保が生きていなくなることをひそかに覚悟していたとでもいうのだろうか。その覚悟をもちながら、暑くて寂しい八月の日に保を一人にしておいたとでもいうのだろうか。清浄無垢な保にふさわしい母として荘重にふるまおうとしている多計代のとりなしは、父の手紙をとおして伸子に胸のわるくなるような母の自己満足を感じさせた。かあいそうな保を抱きとって死ぬまで生きた心を劬《いたわ》り泣く母はいなくて、場ちがいに保をあがめ立て、その嵩だかさで人々の自然な驚愕の声を圧しているような母の姿は、伸子に絶望を感じさせた。伸子は、素子がそこを読み終るまで、うつろな眼をひらいて自分の前を見ていた。
 手紙の最後に、泰造は、伸子が帰朝しないと電報したことに対して意見をかいていた。寂寥とみに加わったわが家に、溌剌たる伸子の居らざることはたえがたいが、考えてみれば、伸子の判断にも一理ありと信じる。たとえ伸子がいま帰朝したにせよ、すでに逝いた保の命はよみがえらすに由ない。おそらくは保も、姉が元気に研究をつづけることを希望しているだろう。われら老夫妻も保とともにそれを希望するこころもちになって来た。何よりも健康に注意して暮すように。泰造は、はじめて自分たちを、われら老夫妻とかいている。最後の白い書簡箋を素子にわたして、伸子は両手で顔をおおった。

        五

 伸子は、思いにとらわれた心でパンシオン・ソモロフの食卓につらなっていた。妙に長くて人目立つ鼻にお白粉を塗って、白ヴォイルのブラウスの胸に造花の飾りをつけたエレーナ・ニコライエヴナが、小さくて黒く光る眼をせわしく動かしながら耳だつ声でトルストイが最後に家出した気持は理解できるとか出来ないとか盛に喋っている。あの雨の日のヴェランダで伸子の手をつかんで蝙蝠の羽ばたきのようにマズルカをおどった老嬢エレーナは、彼女の休暇を終って美術館の仕事に戻って行った。新しく来たエレーナ・ニコライエヴナは、レーニングラードのどこかの映画館でプログラム売りをしていた。三十三四になっている彼女は、自分からそのいかがわしい職業を披露した。彼女の出生がいいためにソヴェト社会ではそんな半端な職業しか許されない、と軽蔑をこめた註釈を添えて。
 香水をにおわせているエレーナ・ニコライエヴナとトルストイ論の相手をしているのはリザ・フョードロヴナの良人《おっと》の技師であった。すぐ隣りの席で、だまったまま薄笑いしている歴史教授リジンスキーをとばして、鼻眼鏡をかけて髭のそりあとの青い顔をテーブルの上へつき出しながら技師はエレーナ・ニコライエヴナに言っている。
「トルストイが家庭に対してもっていたこころもちは私にはわかりますね。――理解のふかいあなたに、彼の心がわからないというわけはないと思います」
「まあ」
 エレーナ・ニコライエヴナは、自然にうけとれない亢奮をかくした笑顔で、
「でもそれは良人として、父親として家庭への義務を忘れたことですわ。ねえ、リザ・フョードロヴナ」
と、いきなりテーブル越しに、伸子のわきにいる技師の細君に話しかけた。
「――トルストイの場合として、わたしは理解されると思いますよ」
 リザ・フョードロヴナはおだやかにフォークを動かしながらいつものしっとりとした声で、エレーナ・ニコライエヴナを見ないで答えている。そこには何か感じられる雰囲気があるのであった。
 伸子は、その雰囲気を感じながら同時に自分自身の思いに沈んだ。保の死んだ前後のいきさつをこまかく書いた泰造からの手紙をよんでから、伸子にはあのことも、このこともと思いあたることばかりだった。
 駒沢の家をたたんで、荷物を動坂へはこびこんだとき、伸子は本の入った一つの行李だけ別にして保に保管をたのんだ。その行李の中には、もしかしたらモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へおくってほしくなるかもしれないと思う本ばかりをひとまとめにしてあった。伸子がそのことをたのんだとき、保はなぜか、すぐああいい、と言わなかった。ちょっとの間だまっていた。それをけげんに感じた伸子が重ねて、ね、たのむわ、いいでしょう、と念をおしたとき保は、ともかくわかるようにしておく、と言った。
「僕がいなくてもちゃんとわかるようにしておくから姉さん安心していい」
 保のその言葉は、ひと息に云われて、何ということなく伸子の印象にのこった。今になって思いおこすと、保の心にはもうそのとき、自分がいつまでも生きているとは思えない計画が浮んでいたのだったろう。伸子が動坂の家へ荷物を運びこんだのは十月のはじめだった。二ヵ月前新聞に出た相川良之介の遺書は、保に長い計画的な死の準備を暗示しなかったとは、伸子に考えられなくなった。相川良之介の遺書には、三年来、死ぬことばかり考え、そのために研究して来た、とかかれていた。保は三月下旬に、第一回を試みて、失敗した。十月ごろからほぼ半年たっている。八月一日といえばその三月からまた半年ちかい時間があった。その間に、保は、大学へ入るときどの科を選ぼうかと伸子に手紙をよこし、六月にはあんなに元気そうに、今年の夏休みは大いに自転車ものりまわし愉快にやってみるつもりです、といってよこした。伸子は、自分がどんなに単純にそのハガキをよんで安心していたかということが今やっとわかるようだった。愉快にやってみるつもりです、という表現に気をつけてよめば、それは、きわめて陰翳にとんでいるわけだった。愉快にやってみるつもり、という言葉のかげには、愉快になれない現在を一飛躍して見よう、という努力の意味がこもっている。しかも、愉快にやってみるつもり[#「つもり」に傍点]だが、それがうまく行かなければ、と、保の内心には、執拗な死の観念と生への誘いのかね合いが感じられていたのだったろう。伸子は、そんなことすべてに気がつかなかった。気がつかなかったということから、伸子は保に対する自分の情のうすさを責められた。
 一月に、温室について保へ書いた伸子の手紙に対して多計代が怒り、伸子をののしった手紙をよこした。それぎり多計代と伸子との間に直接のたよりは絶えてし
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