@保への手紙をかき終ったばかりで亢奮ののこっている伸子は、
「一度でいいから、ほんとに一字一字わたしに話してくれている、と思えるような手紙を母からもらってみたいわ」
と云った。
「母の手紙ったら、あいてがよめてもよめなくってもそんなことにはおかまいなしなんだもの……」
「――」
素子は、そういう伸子の顔を見て賢そうで皮肉ないつもの片頬の笑いをちらりと浮べた。そう云えば、父の泰造には、母のあのするする文字がみんなよめたのかしら、と伸子は思った。昔、泰造がロンドンに行っていた足かけ五年の間に、まだその頃三十歳にかかる年ごろだった多計代は、雁皮紙《がんぴし》を横にたたんで、そこへしんかき[#「しんかき」に傍点]のほそくこまかい字をぴっしりつめて、何百通もの手紙をかいた。若かった多計代は、そういうときは特別にピカピカ光るニッケル丸ボヤのきれいな明るい方のランプをつけ、留守中の泰造のテーブルに向って雁皮紙の手紙をかいた。五つばかりの娘だった伸子はそのわきに立って、くくれた柔かな顎をテーブルへのせてそれを眺めていた。それはいつも夏の夜の光景として思い出された。いまになって考えれば、その雁皮紙の手紙には、家計のせつないことから、姑が、父のいないうちに多計代を追い出して父の従妹を入れようとしていると、少くとも多計代にとってはそうとしか解釈されなかった苦しい圧迫などについて訴えられてもいたのだ。心に溢れる訴えと恋着とをこめて、書き連ねた若い多計代のつきない糸のような草書のたよりは、ケインブリッジやロンドンの下宿で四十歳での留学生生活をしている泰造に、どんな思いをかきたてたことだったろう。
伸子は、いま自分が遠く日本をはなれて来ていて、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の生活感情そのもののなかで、故国からの手紙をよむ気持を思いあわせると、泰造ばかりでなく、すべての外国暮しをしているものが、その外国生活の雰囲気のなかにうけとる故国からのたよりを、一種独特の安心と同じ程度の気重さで感じるのがわかるようだった。
「母の手紙がつくと、父はそれをいきなりポケットにしまいこんで、やがてきっと、ひとのいないところへ立って行ったんだって――。それをね、話すひとは、いつも父の御愛妻ぶり、というように云っていたけれど――こうやって、自分がこっちへ来てみると、なんだかそんな単純なものと思えないわ、ねえ」
「じゃ、なんなのさ」
「――わたしたちはここで自分で手紙をとりに行って、そしてもって来るでしょう? だけれど、いきなり、はい、日本からのおたよりと云ってここへくばられて来たら、わたし、やっぱり何かショックがあると思うわ」
まして、泰造がロンドン暮しをしていた明治の末期、日本にのこされた妻子のとぼしい生活とロンドンの泰造の、きりつめながらもその都会としての色彩につつまれた生活との間には、あんまりひらきがありすぎた。
「モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]だよりじゃ、たべもののことはいくら書いても決して恨まれっこないだけ安心ね」
伸子は笑って云いながら、可哀そうな一つのことを思い出した。やっぱり泰造がロンドンにいた間のことだった。あるとき、多計代が座敷のまんなかに坐って泣きながら、お父様って何て残酷なひとだろう! とおかっぱにつけ髷《まげ》をして、綿|繻珍《しちん》の帯を貝の口にしめている少女の伸子に云った。まあ、これをごらん! 何てかいてあると思うかい? ひとつ今夜のディンナーを御紹介しよう。ひな鳥のむし焼に、何とか、果物の砂糖煮と多計代はよんだ。そして、「どうだろう、お父様のおっしゃることは。大方そちらでは今頃、たくあんをかじっていることだろう、お気の毒さま、だとさ! よくも仰言れる!」その文句をかいてあったのは一枚のエハガキだった。稚い伸子に、その献立の内容はわからなかったけれども、父の方には何かそういう大した賑やかな御馳走があり、自分たちはたくあんをかじっているのだというちがいは、子供心に奇妙に鮮明に刻まれた。伸子は、いまでも、小さな娘を前において、ひな鳥のむし焼、とよみ上げたときの多計代の激昂と涙にふるえる声を思い出すことが出来た。それが思い出されるときには、きまってその頃母と小さい三人の子供らがよくたべていたあまい匂いのする藷《いも》がゆを思い出した。こってりと煮られた藷がゆは、子供があつがるのと、台所にいる人たちもそれをたべるのとで、釜からわけて水色の大きい角鉢に盛られて、チャブ台に出た。その角鉢には、破れ瓦に雀がとまっている模様がついていた。
ずっと伸子が成長してからも、そのハガキの文句のことで、父と母とが諍っていたのを覚えていた。泰造は、ほんとにみんなが気の毒だと思ってそれを書いた、と弁明した。その時代の伸子は、母のあのときの憤りが、決してひな鳥のむしやき一皿にだけ向けられていたのではないことを諒解した。そういう御馳走。葡萄《ぶどう》酒の酔い。屈託のない男たちの談笑。小説もよみ外国雑誌の絵も見ている多計代は、そういう情景のなかに、細腰を蜂のようにしめあげて、華美な泡のようにひろがるスカートをひいた金髪の女たちの、故国にある家庭などを男に忘れさせている嬌声をきいたのだろう。
「漱石だって、かいたものでよめば、外国暮しでは、別な意味で随分両方苦しんでいるわね。奥さんにしろ」
自分がいま保にかいたばかりの手紙を思い、その文面にものぞき出ているような動坂の家の生活とここの自分の生活との間にある裂けめの深さを伸子は、計るようなまなざしになった。
モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]に暮しているものとしての伸子の心へ、角度を新しくして映る日本の生活一般、または動坂の暮しぶりに対して、自分の云い分を伸子は割合はっきりつかむことが出来た。しかし、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]にいる伸子のそういう云い分に対して、佐々のうちのものや友人たちが、変らないそれぞれの環境のなかにあって、どういううけとりかたをするか。そのことについて、伸子はほとんど顧慮していなかった。
伸子は、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の時々刻々を愛し、沸騰し停滞することをしらない生活の感銘一つ一つを貪慾に自分の収穫としてうけいれていた。伸子がウメ子のような友人にかくハガキの文体でも、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来てからは少しずつかわっていた。伸子としてはそれが自然そうなって来ているために心づかなかった。――わたしの住んでいるホテル・パッサージの壁紙もない室の窓は、トゥウェルスカヤ通りに面しています。そう書けば、伸子は、その窓の下に見えていて骸骨《がいこつ》のような鉄骨の穴から降る雪が消えこむ大屋根の廃墟の印象をかかずにいられないし、その廃墟をかけば、つい横丁を一つへだてただけで中央郵便局の大工事がアーク燈の光にてらされて昼夜兼行の活動をつづけていることについて、沈黙がまもれなかった。この都会の強烈な壊滅と建設の対照は伸子の情感をゆすってやまなかった。伸子は、厳冬のモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の蒼い月光が、ひとつ光の下に照したこの著しい対照のうちにおのずから語られている今日のロシアの意志に冷淡でいられなかった。同時に、これらすべての上に、毎夜十二時、クレムリンの時計台からうちならされるインターナショナルのメロディーが流れ、その歌のふしが、屋根屋根をこえて伸子の住んでいるホテルの二重窓のガラスにもつたわって来ることについて、だまっていられなかった。雪に覆われたモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の軒々に、朝日がてり出すと、馬の多い町にふさわしくふとったモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の寒雀がそこへ並んでとまって、囀《さえず》りながら、雪のつもった道の上に湯気の立つ馬糞がおちるのを待っている。そんな趣も伸子の眼と心とをひきつけた。
伸子のかくたよりに現れる生活の描写は、こうして段々即物的になり、テンポが加わり、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の社会生活の圧縮された象徴のようになりつつあった。きょうの手紙にもあったようにウメ子が校正ののこりをひきうけてくれて、そろそろ本になろうとしている長い小説を、伸子は、ごくリアリスティックな筆致でかきとおした。それがいつとはなし、即物的になり、印象から印象へ飛躍したテムポで貫かれるような文章になって来ていることは、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来てからの伸子の精神の変化してゆく状態をあらわすことだった。それはモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]という都会の生活について、そこでの社会主義への前進について、伸子が深い現実を知った結果からだったろうか。それとも、ここで見られる歴史の現実も、伸子にとっては新鮮に感覚に訴えて来る範囲でしか、把握出来なかったからの結果だろうか。伸子はそういう点一切を自覚していなかった。
日々を生きている伸子の感興は、耳目にふれる雑多な印象と心におこるその反響との間をただ活溌にゆきかいしているばかりだった。
しばらくだまって休んでいた素子が何心なく腕時計を見て、
「ぶこちゃん、また忘れてる! だめだよ」
と、あわてて、とがめるような声をだした。
「なにを?」
ぼんやりした顔で伸子がききかえした。
「室代――」
「ほんと!」
「きのうだって到頭忘れちゃったじゃないか。――すぐ行ってきなさい、よ!」
伸子は、テーブルをずらして、日本から来た新聞の山の間に赤いロシア皮で拵らえられた自分の財布をさがした。ホテルの室代を、毎日夜十時までに支払わなければならないきめになっていた。伸子たちはよくそれを忘れて、二日分ためた。ほんとうは、いくらか罰金がつくらしかったけれども、素子や伸子がホテルの二階にある事務室へ入って行って、忘れてしまって、と二日分の金を出すとき、罰金はとられたことがなかった。長椅子から立って来るとき、伸子は、テーブルのわきに落してしまっていたのを知らずに、紅絹《もみ》の針さしを靴の先でふみつけた。
「あら!」
いそいでひろいあげて、伸子は紅絹《もみ》の針さしについたかすかな跡をはらった。
「かあいそうに――」
針さしをテーブルの上へおき、ベッドから紫の羽織をとって袖をとおしながら伸子は室を出た。
七
三四日たった或る日の午後のことであった。伸子が、網袋にイクラと塩づけ胡瓜とリンゴを入れて、ゆっくりホテルの階段をのぼって来るところへ、上から内海厚が、上衣のポケットへ両手をさしこんだまま体の重心を踵にかけて、暇なようないそいでいるような曖昧な様子で降りて来た。
「や、かえられましたか。実はね、部屋へお訪ねしたところなんです」
「吉見さん、いませんでしたか?」
「居られました、居られました」
内海は、相変らず十九世紀のロシアの進歩的大学生とでもいうような感じの顔をうなずけた。
「吉見さんには話して来ましたがね。実はね、ポリニャークがぜひ今夜あなたがたお二人に来て頂きたいっていうんです」
革命後作品を発表しはじめているボリス・ポリニャークは、ロシアプロレタリア作家同盟に属していて、活動中の作家だった。
「こんや?――急なのねえ」
「なに、急でもないんでしょう」
そのとき、また下から登って来た人のために内海は手摺の方へ体をよけながら、すこし声を低めた。
「この間っから、たのまれていたことだったんでしょうがね」
二三年前ポリニャークが日本へ来た時、無産派の芸術家として接待者の一人であった秋山宇一は、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来てからも比較的しげしげ彼と交際があるらしかった。その間に、いつからか出ていた伸子たちをよぶという話を秋山宇一は、さしせまったきょうまで黙っていたというわけらしかった。伸子は、
「吉見さんはどうするって云っていました?」
ときいた。伸子としては、行っても、行かなくてもいい気持だった。ポリニャークは日本へも来たこ
前へ
次へ
全175ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング