齔゚がうち出される。その響きがまた夜空を流れて伸子たちの室の窓辺にきこえるようになった。
パッサージに住めた伸子の安心は、思いがけない楽しさでゆたかにされた。偶然、もと住んでいた七四番の、ひろい部屋がとれたのだったが、一九二八年の冬から春にかけてそこに暮したとき、伸子が最初のモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の冬景色としてみていたのは、荒涼とした廃墟の鉄骨とそこに降る雪の眺めだった。
パッサージ・ホテルという名の由来は、このホテルをこめてトゥウェルスカヤ通りの角に大きく建っている建物の下に、物産陳列をした勧工場《パッサージ》があったかららしかった。おそらくそこへの取引に出て来た各地方の商人たちが定宿としていたのがいまのホテル・パッサージであるのだろう。
陳列場《パッサージ》の裏側を見おろす位置にある伸子たちの室の窓の下に、ガラス張りだったパッサージの屋根が破壊されたままで鉄骨をむき出していた。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の雪は、きのうもきょうも絶え間なく降って、降る雪は、廃墟の鉄骨の上につもり、更にその間の黒い底知れない穴へ消えてゆく。窓に佇んで降っては消え、降っては消える雪片を眺めていると、伸子は軽いめまいを感じた。狭い往来をへだてた場所では大規模な中央郵便局の建築工事が進行中だった。夜中もプロジェクトールの強い光が雪の吹きだまりのある足場を照し出している。その対照は、いかにも強烈に、きのうときょうのモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]を語っているようだった。
こんど七四番の室のドアをあけた刹那、伸子は、そこがまるで別なところになったような感じがした。キラキラした明るさが、うす青い壁にかこまれた室じゅうに反射している。パッサージの屋根に、いつかすっかりガラスがはいっているのだった。トゥウェルスカヤ通りからみると「モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]夕刊」と重々しく派手な電気看板がついた、そこの屋根にあたるのだった。
夜になると、伸子はわが目とわが耳とをうたがった。ガラス屋根は、内部にともされるどっさりの燈火をうつして柔かくガラスのランターンのように輝きはじめた。柔かな明るさの奥から、音楽がきこえた。伸子たちの室の窓は、パッサージの屋根より高いところにあったから、そのガラス屋根の輝きやそこから微かに湧いてきこえる音楽は、ホテルの夜の単調さをやわらげる役にこそ立て、伸子たちの生活の邪魔にはならないのだった。
並木道《ブリ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ール》につづいたアストージェンカの、しんとした夜々が、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の活気にみちた夜にかわった。
そして、或る日の午後、伸子はふと窓の下のガラス屋根に何かを認め、そっとデスクの前を立って窓へよって行った。
もう日蔭にしか雪ののこっていない早春の、乾いたガラス屋根のところに、三人の青年と二人の娘が出て来ている。二人の娘は並んで前列に、二人の青年は、そのうしろに、几帳面に並んでポーズしている。こっちに――伸子の見おろしている窓の側に横顔を見せて、金髪の若ものが、写真機を両手の間にもって、一心にファインダーをのぞいているところだった。
去年まで、写真機をもっているモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の若ものたちを見かけるというようなことはなかった。春から夏の間、並木道《ブリ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ール》の散歩道で菩提樹のかげに写真屋が出て、繁昌していた。伸子は、心から、まあ! と思った。この人たちが写真機をもつようになった!
若者たちの様子には、何とも云えない新鮮さがあった。ファインダーをのぞいている金髪の青年が、何か云って、右手で合図した。うしろに立っている二人の青年が、一歩ずつよりあって互の距離をちぢめ、その工合を互にたしかめあった上で、また正面をむいて、ポーズしなおした。ファインダーをのぞきこんでいた青年は、しきりに苦心中らしかったが、遂に彼がその顔をあげて何かいうと、娘たちは、ひどく笑い出した。声はきこえないけれども、その嬉々としている様子は手にとるように見えて、こちらの窓の中から見ている伸子に笑いが感染した。それほど彼女たちは愉快に笑うのだった。写真は、まだとるところまでこぎつかない。
タバコを一服すると、金髪の青年は、こんどこそシャッターをきる決心らしく、上衣をぬいで、伸子がおどろいたことには、まだ雪がのこっている気候だというのに夏の紺と白との荒い横縞のスポーツ・シャツ一枚になった。四人はまた前のとおりの型で、自分たちをこりかたまらした。そして、こっちで見ている伸子の体までこわばって来るような数秒の緊張ののち、シャッターがきられた。
よほどフィルムが大切にちがいなかった。スナップのためにはたった一度シャッターがきられたきりだった。なおしばらく若者たちは、ガラス屋根の上にのっていることを楽しんで、やがて降りて行った。
それらは、ほんの些細な光景にちがいないのだ。が、伸子の心に、いちいち触れた。触れて何かの響きを感じさせた。
伸子の目の下にふとあらわれるこんな光景と、素子が銀製のスプーンを買ったりすることとの間に、伸子は、体が何かにはさまれているような矛盾を感じるのだった。
パッサージへ引越して来ると間もない日、素子は正餐まえの散歩に伸子を誘い出した。
「めずらしいのね、どこへ行くの?」
「行って見りゃ、わかるよ」
素子は芸術座の前の通りを真直に行って、商業地区の方へ歩いた。伸子は、国立交換所へ行こうとしているのかと思った。文明社が、もう金を送ってよこさないことはたしかになった。いま国立銀行にあずけてある金がきれれば伸子はウィーンで買った外套や靴を売ることにきめていた。去年まで着た黒い外套とその裏についている猿の毛皮も売っていいと考えていた。そういう物品を正直な市価で交換するために、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の人々は国立交換所を利用しているのだった。
ところが、素子が開けてはいった立派なドアは、国立貴金属販売店だった。案外の思いで、のろのろとついてはいった伸子にかまわず、素子は陳列台の前にかけて、銀製のスープ用大型スプーン、中型スプーン、コーヒー用小型スプーンを店員に出させた。外交団関係の婦人だと思ったのだろう。店員は、丁寧なものごしで、素子の選び出した簡素なデザインのスプーンを三とおり、半ダースずつ、わきへとりのけた。そこまできまってから、素子は伸子に、
「やっぱりイニシァルをつけといた方がいいだろう、ね、ぶこちゃん」
と云った。伸子は、全体としてそんな買物の意味がのみこめなかった。素子の横に腰かけたまま沈んだ眼色で、美しく光っている大小の銀の匙を見つめた。はきはき返事をしない伸子をゆすぶるように、
「ね、ぶこ[#「ぶこ」に傍点]はどう思う? きいているんだよ」
「さあ、つかい道によるんじゃない?」
「いずれわれわれが使うのさ」
銀のスプーンを? その生活は、どこで、どんな生活だというのだろう……伸子にとってあんまり現実ばなれした感じだった。伸子は、
「あなたのをつけたら」
と云った。
「そんな気のない顔をしなくたっていいじゃないか。どうせ自分だってつかうときがあるのに――どっちにも通用するのを見つけなくちゃ」
吉見素子・佐々伸子。ローマ字綴りで二つの名を書いたとき共通なのはまずエスの字だった。それはロシア文字では|С《エス》だから、それ一つを飾り文字としては淋しすぎるのだった。店員と素子とは、飾文字の様式を集めたカタログをひろげて見ている。銀のスプーンそのものに興味をもてずにいた伸子の気持が、飾文字のデザインにひかれた。鉛筆をとっていろいろ書いてみているうちに、二つの|С《エス》が、一つは大きく、もう一つは小さく、大きい|С《エス》にひっかかって鎖の破片のように組合わされている形を見つけ出した。
「ふーん、これは、愛嬌があっておもしろいや」
頭文字にはそれを彫りつけることにきまった。一週間たってまた来ることにして伸子たちは店を出た。
「――えらく良心的[#「良心的」に傍点]なんだな」
ぎこちなく並んで歩いている伸子を素子が眼のよこから見ながら、からかった。
「きみだって、プラーグじゃ、ボヘミヤン・グラスは美しいって灰皿だのリキュールのセットを買ったんだよ」
いま、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で自分がスプーンを買うのはそれと同じことだと素子はいうつもりなのだった。外国ではそういう買ものもした伸子が、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]だと何かに気をかねている、素子はそこを辛辣に指摘したいらしかった。しかしプラーグで買った僅の品は、伸子のスーツ・ケースには入っていない。素子がしまって、もっている。それについていうよりも、ともかく伸子にとっては、周囲に動いているモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の生活と銀のスプーンを買いこむということ。何かわからないけれども絶えずぼんやりした予感のそよぎのうちにある不確定な自分の未来と銀のスプーン。その連関に、何かつよく錯誤しているものが感じられて、気分がおかしいのだった。
マヤコフスキーが、ピストルで自殺した。そのニュースが人々をおどろかしたのは、伸子と素子とが銀のスプーンのことから気分をこじらせて、口をきかないで床についた翌《あく》る朝のことである。
八
――わたしの愛の小舟は難破した――
マヤコフスキーが死ぬときに書きのこした詩のなかに云われている、その、愛の小舟というのは、何の愛の、小舟だったのだろう。
マヤコフスキーは大きい誤りをおかした。しかし彼が、彼の最後の日まで革命とプロレタリアの詩人としてつくした功績は、そのために消されることはない。――プラウダにそういう言葉がかかれていた。そして、その夜伸子と素子がさっきまで――十一時ごろまでいた工芸博物館の大講堂では、うしろの高い席までびっしりつまって明るい演壇に注目している聴衆に向って、「レーニングラード作家の文学の夕べ」の司会者はおなじ言葉をのべ、詩人への哀悼のために一同の起立をもとめた。くまなく照明されている演壇のうしろの高いところにレーニンの胸像と|СССР《エスエスエスエル》の赤い旗が飾られている。その下に故人となったマヤコフスキーの大きい写真が数百人の視線をうけている。特別に大きい額、特別に大きい目玉をもったマヤコフスキーの写真の下にグランド・ピアノがあった。その黒いふたの上に、赤い切り紙でつくられているВ・В・マヤコフスキーという詩人の名の、二つの頭字が、はっきりさかさに映っていた。無言でさかさに映っている赤い二つのВの頭字を見まもりながら、伸子は聴衆の一人として、マヤコフスキーは大きい誤りをおかしたと云われる言葉をきいたのだった。マヤコフスキーの誤りとして云われているのは、彼が自殺という方法で、突然彼の人生をしめくくってしまったことに対する社会主義の社会としての批判だった。
だけれども、批判は批判として、会場の雰囲気を支配しているのは、マヤコフスキーへの親愛の感情であり、彼の死に対してぼんやり人々の胸の底にわき出ている惻隠《そくいん》の情だった。
伸子と素子とが、工芸博物館の前から19の電車にのって来て、クードリンスカヤの街角までつづいている告別式の列の最後のしっぽについたのは、かれこれ十二時ちかかった。マヤコフスキーの告別式は、その夜、午後九時から午前一時まで作家クラブで行われるはずだった。間遠な街燈の光をうけて沈黙がちの黒い列がそろそろ動いている歩道の外側に、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の四月の、よごれた雪のかたまりがあった。車道のところを、数丁さきの作家クラブの正門まで、列にそって三騎の騎馬巡査が、しずかに行ったり来たりしている。列は、一歩ずつ動いていて、昔ソログーヴの邸宅であった作家クラブの建物をとりかこむ低い
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