{美子が買った二つの同じ型のカバンの用途が、いちどきに伸子にのみこめた。一つは恭介のために。もう一つは子供のために。須美子は二つのカバンを買ったのだった。しきりに大きさを気にしていたわけもわかるように思えた。彼女は、夫と子供とを一つのもののなかに入れ日本までの旅をしたかったのだ。そういう買物であったから、須美子は伸子でも、わきについていてほしいこころもちであったのだ。
 天井の電燈をつけたまま寝室に姉とならんで横になり、つや子はとなりの寝台からたのしそうにしゃべっている。
「お姉さま、真暗のなかだと、空気が重くなって息が苦しいようにならない?」
「そうかしら。――わたしは小さいとき、真暗ん中で目をあいていると、体がだんだん四角く小さくサイコロみたいになって行くようで、こわかった」
「ふーん」
 話しながら伸子は考えつづけた。きょうプランタンで須美子がきまった型のカバンをさがして、いつもの須美子に似合わず執拗に陳列の間を歩きまわっていたとき、伸子が、おせっかいな口をさしはさまなかったのは、せめてものことであった、と。須美子の熱心さには何かあたりまえでないところがあった。それが伸子をおさえたせいだった。そのカバンを二つも買うことについて、用途を説明させるような物云いをしなかったのも、伸子は、せめてもだったと思った。あのカバンを届けさせず、自分でまっすぐに持って帰った。そこにも須美子の心の疼きがうらづけられている。不仕合わせな須美子の感情の動きにくらべると、そのような痛みにおかれていない自分の心が、大まかにしか働らかないのを、伸子は自分の卑しさを発見したに近い感じで自覚するのだった。
 つや子は、しばらくしてまた、
「ねえ、お姉さま」
とよびかけた。
「お兄様たち、ロンドンでいまごろ何していると思う?……動坂ではね、このひと、お兄様と寝ていたのよ。お兄さま、いつもおそくかえって来てねるでしょう、だからこのひと、先へねるとき、お兄様の枕をだいてねることにしていたの。いつだったか、一所懸命枕だいてねていたつもりだったら、目がさめたとき、ほんとにあきれちゃった。枕だと思ってたの、お兄様の脚だったんですもの」
「まあ、いやだ!」
 風呂ぎらいだった和一郎の毛脛《けずね》を考えて、伸子は笑い出した。
「さかさになったのはどっちなのよ」
「このひと――」
 少女のつや子が、このごろは多くひとりぼっちのこころもちで暮していることが、たまのこういう会話で伸子に察しられるのだった。末娘のつや子が両親に愛されていないと云ってしまえば、それは、長女の伸子がちっとも愛されていないというのと同様に、真実ではなかった。けれども、何かにつけて冷酷だという多計代の非難に伸子がけっして承服していないように、つや子は、自分が多計代から石のような子だ、と云われるたびに、そうじゃあないのに、という悲しさは感じているだろう。
 スタンドを消そうとするとき、つや子は、
「お姉さま、いい? あしたの朝は、このひとがコーヒーこしらえてあげる、よびに来るまで起きないで。いい?」
 そう云って、ベッドの上で弾むようにねがえりをうってあちら向きになった。

        九

 姉と二人きりになったつや子のくつろぎかたは、ほんものだった。
 おかっぱの髪の上に、指をくみ合わせた両手をのせて、短いスカートをふるようにしながら部屋から部屋へぶらぶら歩きまわったり、ヴェランダによりかかって飽きずに外を見ていたり、そうかと思うと、いきなり、
「ねえ、お姉さま、このひと、帰ったってもうあんな学校へなんか行きゃしないから!」
 誓うように云ったりした。
「フランスでも姉妹《マ・スール》って、意地わる?」
 こんど親たちにつれられて旅行に出るまで、つや子は東京にある三種類の尼僧女学校の一つに通っていた。その学校の在る通りが、泰造が事務所へ行く通路に当っていた。小児喘息でつや子は弱いから、自動車のついでのあるところがいいし、泰造の友人の娘たち三人もその女学校を卒業したり在学中だったりしているということで、つや子は小学校からずっとそこの女学校へ通わされていたのだった。
 カソリックの尼僧学校だったから、尼僧の校長は母《マ・メール》とよばれ、これも尼僧の教師たちは姉妹《マ・スール》とよばれ、服装もきびしくて、夏でも黒い長靴下をはいていなければならなかった。あんまり暑い日、つや子はソックスをはいて行って、ひどくマ・スールに怒られ、早びけして来たことなどあった。課外のピアノ教授を申しこんでも、つや子の番はとばされて、あとからたのんだ女の子が教わるようになった。日本人のマ・スールは、ピアノがおうちにあるのなら、よその先生にならったらいいでしょう、と云うのだそうだった。級のなかで、そういう立場におかれているつや子のために、多計代はバザーの特別な援助をすることもなく、クリスマスのおくりものをすることも考えなかった。伸子の女学生時代に多計代がそうであったとおりだった。
「お母さまだって、あなたをまたあすこへかえそうと云っていらっしゃりゃ、しないでしょう」
「――もしお母さまが相談したら、お姉さま、どこか別のところを考えてよ、ね?」
「わたしは、はじめっから尼さん学校は賛成じゃなかったんだもの」
「あんなところへまた行くんなら、このひと、不良少女になっちゃう」
 不良少女というものを、つや子は晩熟な女の子らしく、わるい女の子というほどの内容で云っているのだったが、それをいうとき、つや子の、がっしりと四角い顎をもっているきつい顔の上に、旅券《パスポート》に貼ってある小型写真にうつっているような、けわしく、暗い、一途な表情があらわれた。
 休日らしい暮しがつづいたのは、二日か三日のことであった。
 マダム・ラゴンデールの授業をうけにホテルへ戻っていた伸子がかえって来ると、ひとりで留守をしていたつや子が、
「こまっちゃった!」
 伸子の前へ来て立った。
「どうしたの」
「マダム・ルセールったら、洗濯にやってくれって、はっきり云ってたのんでたのに、メルシ、メルシってこのひとのスリップをもって帰っちゃった」
「どんなスリップ?」
「いちばん御秘蔵の」
 うすいピンクのクレープに、幅のひろいきれいなレースつきというものだった。
「このひと、ちゃんと字引きひいて、云ったのに――」
 つや子は、文法ばかりやかましくしつけられた尼僧女学校のフランス語で、洗濯《ラヴェ》という言葉や、やる《ドネ》という単語を四角四面にならべて、すばしっこいマダム・ルセールに、かえって、やる《ドネ》というひとことを、都合いいように解釈されてしまったらしかった。
「自分で行かなかったばち[#「ばち」に傍点]よ。――わたし流に、どうぞ《シルブプレ》、洗濯屋《ア・ブランシセリ》へ、ってでも云えばよかったかもしれない」
 マダム・ルセールが特別ずるい女というのではなかった。何かよぶんな用事を云いつけたとき、多計代が心づけをわたしたりすると、彼女は、いかにも感謝にたえないように片膝をかがめて礼をのべた。マダム・ルセールのそういうとりなしは、言葉の通じない多計代の気分をとらえるのだった。
 生活によって鋭くされているフランスの女の眼はしに、つや子は鈍重な少女のようにうつっているでもあろう。その娘と二人きりしかいない、しんとした午後、マダム・ルセールが、わたされたピンクのスリップをふし高な両手の間にたくしこむようにしながら、メルシ、メルシ一点ばりにひき下って行った情景を想像すると、伸子はおこる気もちもしなかった。
「マダム・ルセールも、きっとそのスリップが気にいったんでしょう。『むくつけき小羊』にはもったいないと思ったのかもしれない」
 悄気《しょげ》ていたつや子が笑いだした。「むくつけき小羊」というのは、和一郎が小枝の気をそこなうようなことをしたとき、小枝の前で自分をせめ、へりくだる言葉として使ったのがはじまりで、家族の若いものたちの間にはやっているのだった。
 親たちが留守になっても、マダム・ルセールは通って来て、伸子とつや子のために食事の仕度をしているのだったが、伸子は、いつとはなしに、献立がかわって来ているのに心づいた。おいしい小粒青豆《プティ・ポア》がひっこんで、ふと気がついたとき皿に出ているのは、ありふれた|さや豆《アリコベール》だった。前菜からサーディンやソーセージという類のものが消えた。伸子は、僅かの間のことはそれでもいいという気だった。その分だけをマダム・ルセールとその家族が食べているなら、結局無駄ではないのだから。マダム・ルセールが通って来て働くようになってから、泰造は一日およそいくらと見つもって、三日分ほどずつまとまった金を、マダム・ルセールに自分でわたしていた。そして、精算書を出させていた。マダム・ルセールの計算書は、肉類いくら、野菜いくら、という風に金額でかかれていて、何の肉をどれだけという分量は記入されなかった。自分たち夫婦が一週間の予定でジェネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]旅行に出発するとき、留守の台所の入費を、泰造は、いつもどおりまとめてマダム・ルセールに手渡して行ったのだった。
 マダム・ルセールが用意しておいた料理を運んで、姉妹が夕飯のテーブルについたある晩のことだった。つや子が、フォークを手にとったまま、じっとテーブルの上にのっている大皿に目をこらして、いつまでも自分の皿へとりわけようとしない。
「どうしたの? 何かへん?」
 姉としていくらか責任のあるこころもちになって、伸子は大皿をひきよせて調べるようにそこに盛られている料理を見た。茶色のこってりした煮汁をかけてシチューされた肉が、ジャガイモや人参のとりあわせで出されている。
「おいしそうじゃないの」
 のぼせたような顔で、もじもじしていたつや子が、訴えるような小さい声で姉にきいた。
「これ兎じゃない?」
 伸子は皿をひきよせて、たしかめた。
「そうだわ」
 あとじさりするような眼つきになって、つや子は手にとっていたフォークをそっと下においた。
「きらい?」
 つや子は、かぶりをふった。
「だめなの――」
 そう云えば、つや子はパリの肉屋で、兎のむいたのをつるし売りしているのを、ひどくいやがった。このひとの生れ年だから、いやだ。本気になってそう云っていた。
「玉子があったわね、あれで何かこしらえてあげよう」
 兎料理は、みんなのいるときの食卓には出たことのないものだった。伸子は、手をつけないままの大皿のふたの上に「どうぞ、牛肉か、犢《こうし》か、羊肉を」と書いた紙きれをのせて、台所へおいた。

        十

 早くて一週間、すこしのびれば十日の予定でジェネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]旅行に出かけた両親が、一週もたたない六日目に、突然パリへ帰って来たことは、それが須美子と約束のある十四日の午後だったために、伸子を苦しいはめにおくこととなった。
 磯崎恭介が急に亡くなってから、彼と須美子と子供とが三年の間暮していたデュトの住居は、もう家庭ではなかった。それは難破船だった。難破した船がしずみきらないうちに、須美子はパリでの生活をとりまとめて、日本へ帰る仕度に忙殺されている。須美子が恭介の死去につづいて、葬式、帰国準備と、自分に暇を与えないように暮している気持がわかるだけに、伸子はせめてなか休みの一日を計画して、須美子にデュトでない環境を与えたかった。家庭であって、しかも、そこには須美子のいたみやすい気持を刺戟するような夫婦生活の雰囲気のないところ。――つや子と伸子しかいないペレールの家こそ、そのような休息にふさわしい場所だと思えた。
 伸子は、その午後、デュトまで迎えに行って須美子をペレールへつれて来た。そして、一休みしてから、ガスに火をつけて、風呂をつくった。
 日本流の、こんなもてなしかたを須美子は心からよろこんだ。
「きょうはいい日ですわ。こんなにして頂くし、入選のこともわかりましたし……」
 恭介が死ぬ一日二日前に、自分で搬入した静物
前へ 次へ
全175ページ中121ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング