ナ護婦はそういう名だった――だんだん物語につりこまれるにつれ、伸子が眠ってしまったと思いでもしたのか、段々黙って、頁から頁へ、ひきつけられて読みすすんで行った。そして、暫くしてよみ終ったとき、思わず前こごみになっていた背中をのばして安楽椅子へもたれこみながら、ミス・ジョーンズは、
「可哀そうに!」
 心からそうつぶやいて、幾人もの看護婦に読みまわされたらしく頁の隅のめくれあがって手ずれた本をエプロンの膝の上においた。
 じっとして仰向きにねている伸子の胸に、ミス・ジョーンズの実感のこもった Poor thing!(かあいそうに)という響がしみとおった。夫のために出席しなければならない一晩の宴会のために身分のいい女友達から、借りた真珠のネックレスを紛失させ、代りに買ってかえした真珠の頸飾りの代を月賦で払うために、何年間も苦労してやつれ果てた貧しくつましい妻。彼女夫婦の幸福ととりかえた月賦払いが終ったとき、もと借りた頸飾りは模造品であったことを知らされる。貧しくて正直なものが蒙《こうむ》った愚弄の惨憺さを、ミス・ジョーンズは真実そのような目にあうこともある立場の人間として、同情といたましさを禁じ得ずにいるのだ。
 一九一八年十二月で、曇ったニューヨークの冬空を見晴らすセント・ルーク病院の高い窓の彼方には、距離をへだてて大都市の同じような高層建築が眺められた。ミス・ジョーンズは、きちんと前を二つに分けて結っている褐色の髪の上に白い看護婦キャップをのせ、高い鼻を横に向けて、頬杖をつき、外の景色を眺めていた。すこし荒れたような横顔にはかすかな物思いと、きちんとした看護婦が彼女の勤務時間中、患者のどんな些細な要求にもすぐ立ち上って応じる準備をもっている習慣的な緊張がある。頬杖をついているミス・ジョーンズの手は、日に幾度も洗われるために薄赤く清潔で、何年間も患者の体を扱っているうちに力が強くなり、節々のしっかりした働く人の手だった。華美と豪奢の面をみれば限りのないニューヨークという都会のなかで、生れつき親切で勤勉で背の高いミス・ジョーンズが、隅のめくれたモウパッサンの「頸飾」一冊を膝において窓の外を眺めている姿は、伸子をしんみりした心持にした。
 いつの間にとろりとしたのか、伸子は自分が眠りかけたのにおどろいたようにして枕の上で眼をあいた。ミス・ジョーンズはさっきと同じ窓ぎわの椅子にかけている。物音をたてずに行われている彼女の奇妙な動作が伸子の視線をひきつけた。ミス・ジョーンズは、真白い糊のこわいエプロンの前胸の横から、小さな灰色の袋をとり出し、そのくちをあけ、なかから何かつまみ出して左手の指にはめた。それは大きなダイアモンドのついた指環だった。ミス・ジョーンズは、女が自分の部屋でひとり気に入りの指環をはめて見ているときのように、真面目な、しらべるような表情で薬指に指環のはめられている左の手を眼の高さにもちあげて動かしながら、冬の室内の光線でダイアモンドのきらめき工合を眺めた。やがてその手を握って膝の上において、じっと見おろした。
 その目をあげたミス・ジョーンズと伸子の視線があった。顔を赧らめたミス・ジョーンズのために、伸子はいそいで彼女と同じような真面目さで、
「その指環はたいへん立派な指環ね」
と云った。
「あなたは大切にしなくてはいけないわ」
 ミス・ジョーンズは伸子の気持をそのままの暖かさでうけとって、
「Yes. Dear」
と答えた。そして、真白い帆のようにふくらんだエプロンの胸横から、長い紐でつりさげられている灰白の小さい袋をぶらさげたまま、
「これはわたしの婚約指環です」
と云った。そして、いまはベッドの上の伸子にもそれを見せるという工合にまた顔からはなして左手をあげて、しばらく複雑なきらめき工合を眺めた。
「勤務中、わたしたちは度々手を洗わなければなりませんからね、ときにはつよい薬で。どんな指環もはめられないんです。だからいつもわたしは勤務がすむと、はめるんです」
 そうやって、伸子もいっしょに真面目な目つきで見ているミス・ジョーンズの婚約指環は、大粒なダイアモンドの見事さにかかわらず、浮々したところも、派手やかさもなかった。その婚約指環は、いかにもミス・ジョーンズとその夫になるらしい地味な人がらの男が二人で相談して、慎重に自分たちのものにしたという感じだった。婚約指環と云っても、そこには、どこかに勤めて一定の月給をとっている男と看護婦であるミス・ジョーンズとのつましい生活設計が感じられる。ふと読んだ「頸飾」の物語から、何とはなし自分たちの婚約指環を出して見る心持になったミス・ジョーンズに伸子は同感できるのだった。
 その夜、七時になると、ミス・ジョーンズはいつものとおり伸子の髪をとかして二本の編下げにし、体じゅうを湯で
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