ハ毛《まつげ》の長い黒い眼にある一種のつやっぽさ。伸子と素子には、娘たちのなりわいが推察された。同じさくらという日本名をもっていても、この娘たちにくらべると光子とその友達のさくらは、まるで別の雰囲気の若い娘たちだった。
 一つ長椅子の上に並んでかけた姉妹は伸子たちと、ぽつりぽつりあたりさわりのない話をはじめた。二人ともほんとに内気らしく、二人ともどこにも勤めていない、と答えたりするとき、そんな質問をしたのが気の毒に思えるような調子だった。素子が間に日本語で、
「あなた、このひとたちの家へ行ったことがあるんですか」
と吉之助にきいた。
「ええ、一二度」
 そして、
「ひどいところに住んでいるんです。何人も一つ部屋にいて、カーテンで区切って。あんまり気の毒だったから少しおくりものして来ました」
と云った。娘たちの住居はモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]河のむこう岸らしかった。
 十分もすると吉之助は、ちょっと今のうちにすまさなければならない荷作りがあるから、と自分の室へ戻って行った。
 娘たちは、しきりに吉之助の立つ時間をきいた。それは、伸子たちも知っていないのだった。もう引きあげなくてはならないとわかりながら、吉之助を待って二人の娘たちが長椅子の上でおちつかなくなりはじめたとき、せっかちに伸子たちの部屋をノックするものがあった。
「おはいりなさい」
「こんばんは」
 鞣《かわ》の半外套を着て、小さいフェルト帽をかぶった中ぐらいの体つきの若くない女が入って来た。
「わたし、テルノフスカヤです――日本にいたことがある……」
 伸子は、思いがけないことに思いがけないことの重なったという表情で、ゆっくり椅子から立ち上った。テルノフスカヤという女のひとの名は、革命当時シベリアのパルティザンの勇敢な婦人指導者であったひととして、日本へ来ていた間はプロレタリア派の文学者たちと結びついて、伸子たちにも知られていた。このモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]でもむしろ、ホテル暮しなどをしている自分たちとは政治的にもちがった環境に属す人として、伸子も素子も、テルノフスカヤが今晩不意に現れたことに意外だった。
 いそがしく活動している婦人の身ごなしでテルノフスカヤは伸子たち娘たちと、事務的に握手した。そして、テーブルに向ってかけ、タバコを出して素子や娘たちにすすめ、自分も火をつけた。眉をしかめるようにタバコに火をつけているテルノフスカヤの髪は、ひどく黄色くて光沢がなかった。五人の女の中でたった一人タバコをすわない伸子は圧迫される感じで、テルノフスカヤの眼から自分の眼をそらした。テルノフスカヤの眼は黄色っぽい灰色でその真中に真黒く刺したような瞳があった。その目の表情があんまり豹の目に似ていた。精神の精悍さより、何か残忍に近いものが感じられ、それが女の顔の中にあることで伸子はこわかった。
「吉之助さんは、ここに住んでいるんでしょう?」
「ええ。この娘さんたちも彼のところへ来たお客さんなんですが、いま、いそぐ荷作りがあって、彼は自分の室で働いています」
「彼に会えますか」
「じきここへ来るでしょう」
 テルノフスカヤは素子と話している。伸子は、秋のはじめのいつだったか雨上りの並木道で、この人には会ったことがあると思った。雨はあがったが、菩提樹の枝から風につれてまだしずくが散るような道を、伸子の反対の方から一人の女が書類鞄を下げて通りがかった。伸子の眼をひいたのは、その雨上りの並木道を来るひけどきの通行人のなかで、その人ひとりがすきとおるコバルト色のきれいな絹防水の雨外套を着ていたからだった。それは、日本で若い女たちが着ているものだったが、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]でそんなレイン・コートを見たのは、初めてだった。コバルト色のレイン・コートとともに、特徴のあるその瞳の表情も、伸子の印象にのこされた。
 伸子は、思い出して、テルノフスカヤにその話をした。
「そうですか? わたしは思い出せませんよ」
 それきりで、テルノフスカヤはコバルト色のレイン・コートを自分がもっているともいないとも云わなかった。二人の娘たちは、自分たちに話しかけようともしないテルノフスカヤの出現に、やっと思いあきらめて腰をあげた。すると、テルノフスカヤが、
「あなたがた、吉之助さんの部屋へよって帰るんでしょう」
 見とおした命令的な口調で云った。
「荷作りがすんだら、こちらへ来るように云って下さい」
 思ったより早く吉之助が、どことなし腑におちない表情で伸子たちの室へ入って来た。テルノフスカヤを見ると、顔みしりではあると見えて、
「こんばんは」
 身についている客あしらいのよさで挨拶した。テルノフスカヤはだまって握手して、
「いそがしいですか」
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