Xは何とむき出しだろう。なんとめいめいが体一つでかたまりあっているだろう。いかつく武装をかためた機械化部隊のすぎたあとから行進して来た労働者の隊伍は、あんまりむきだしに人間の体の柔かさや、心や血の温かさを感じさせ、伸子は自分の体をその生きた波にさらいこまれそうに感じた。年をとった男、若い男、同じようにハンティングをかぶり、娘もおかみさん風の婦人労働者もとりどりのプラトークで頭をつつみ、質素な清潔さで統一されているが、ソヴェトの繊維品生産はまだ足りないということは行進する人々の体に示されていた。何という様々の顔だろう。さまざまの顔のその一つ一つに一つずつの人生がある。心がある。けれども、きょうのメーデイに行進するという心では一つに繋《つなが》っていて、クレムリンの城壁をこして空高くゆるやかに赤旗のひるがえっている広場へ入って来る列は、演壇から行進に向って挨拶されるローズング(スローガン)に応えて心からのウラーをこだまさせてゆく。蜿蜒《えんえん》とつらなる行進の列は、演壇の下を通過するとき、数百の顔々を一斉に演壇へ向けて、ウラーを叫んだ。広場には行進曲が響いている。それにかまわず自分たちのブラス・バンドを先頭に立てて来る列もある。さっきから祝い日の低空飛行として広場の上空に輪を描いている二台の飛行機の轟音さえも愉《たの》しい音楽の一つとして、八十万人と予想されている大行進は猟人広場の方の門から入って来てはモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]河岸の門へ流れて出てゆく。
 そっちの方角を埋める人波と、人波の上にゆれるプラカートの林立を眺めていて、伸子は、いつも特別な思いで眺める|首の座《ローブヌイ・メスト》が見えないのに気がついた。赤い広場のその方角に、いつも灰色の大きい石の空井戸のような円形の姿をみせて、そこでツァーが首斬った人民の歴史を語っている|首の座《ローブヌイ・メスト》は、メーデイの人波とプラカートの波の下にかくれてしまっている。そのまわりに来たとき、人々は列をくねらしてよけて通って行っているのだろうけれども、伸子のところからは、そのうねりさえ認められなかった。|首の座《ローブヌイ・メスト》はメーデイの行進の波にのまれてしまっている。
 伸子の心には閃くように、三月十五日の記事にかけられていた赤インキのかぎ[#「かぎ」に傍点]の形が浮んだ。それはいま、一つの象徴として伸子の心に浮んだ。実際よりもはるかに巨大な形をもって。父の泰造が伸子に送る新聞につけてよこした赤インクのかぎ[#「かぎ」に傍点]はいまその形をひきのばされ、|首の座《ローブヌイ・メスト》を埋めて動いている数万の人々の上に幻のように立つようだった。しかし、そんな不吉の赤インクのかぎ[#「かぎ」に傍点]を見るのは伸子一人にちがいなかった。そしてそのかぎ[#「かぎ」に傍点]の下に入れられそうな感じに抵抗しているのも伸子一人にちがいなかった。伸子は実にはっきり自分がちがう歴史のかげの下にいるのを感じた。
 終りに近づいたメーデイの行進は、数十万の靴の下でポクポクにされ熱っぽくなった広場の土埃りの中を、きょうは一日中おくられる行進曲につれて、いくらか隊伍をまばらに通っている。
 最後の行進が通過した。気がついた伸子が演壇の方を見たら、いつかそこも空になっていた。伸子、素子、秋山宇一、内海厚の四人はひとかたまりになって、ぐったりとくたびれたようになった赤い広場を猟人広場へ出て来た。
 この辺はひどい混雑だった。行進を解散したばかりの群集が押し合いへし合いしている間を縫って、赤いプラトークで頭をつつんだ娘をのせた耕作用トラクターが、劇場の方からビラを撒《ま》き撒きやって来た。伸子たちは、やっとそこを抜けてトゥウェルスカヤの通りの鋪道へわたった。赤いプラカートの張りわたされているここも一杯の人出で、空気はもまれ火照《ほて》っている。
「ぶこちゃん、ちょっとパッサージへよってお茶をのんで行こうよ」
 素子がそう云って秋山に、
「パッサージ、やっていますか」
ときいた。
「さあ――どうでしょう――やっているでしょう」
「やってます、やってます」
 内海厚が、わきから早口に答えた。

 伸子たちは、靴を埃だらけにして、アストージェンカへ帰って来た。朝のうちは、電車のとまった通りを赤い広場の方へゆく人かげはまばらだったのに、帰り途は、同じ大通りが、赤い広場から家へ歩いてかえる群集で混雑していた。赤い紙の小さい旗をもったり、口笛をふいたりしながら、みんなが歩きつかれたメーデイ気分でゆっくり歩いている。
「くたびれた!」
 部屋へ入ると、すぐ窓をあけて伸子がディヴァンへ身をなげかけた。
「立ってるのはこたえるもんさ」
 美味《おい》しそうに素子がタバコを吸いはじめた。
 いつもなら
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