轣A一人で先へ出かけてしまったりして、そのことで蜂谷が伸子に何かの意味をさとらせようとするなら、伸子は、そんなおかしくすねたようなやりかた、絶対にわかってやらない。そう思った。彼は、じぶくりたいように、ひとりでじぶくればいいのだ。
 停留場のところへ来てみると、そこで蜂谷が、十一月の夕風に吹かれて面白くもなさそうに立っているのを見出した。彼は伸子を見ると、むっつりした顔のまま、包みをうけとるために手をさしのばした。
「――どうして先へ来ておしまいになったの?」
「ここでおち合うことになっていたんじゃなかったのかな」
「あなたのところへ四時半ていう、お約束だったわ」
 蜂谷良作は、
「――僕がおぼえちがいしていたかなあ」
と云いながら、なぜか、黒いソフトをぬいでかぶり直した。
 伸子と蜂谷良作とは、途中、あんまり口をきく気分にならずに野沢義二の下宿へついた。
 野沢義二の古びた茶色のひろい室、それはゆうべ伸子が見たままの様子だった。とりたててどこが片づけられてもいず、彼は、やっぱり片隅のバネのゆるんだようなダブル・ベッドの上におきかえっていて、そのありのままの様子が、クラマールからひっかかっていた伸子の気分をのびやかにした。
「ほんとにおかゆだけよ」
「結構ですとも。――久しぶりだなあ、日本のおかゆなんて」
「わたしは、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で三ヵ月入院していて、癒《なお》りかけのとき、それは、それは、つめたい、そうめん[#「そうめん」に傍点]をたべてみたかったわ。それから、日本の海の、つよい潮のかおりね、波がさあっと来たとき匂う――あの匂いへ顔をつっこみたかった」
「そう云えば、日本の海辺ぐらい、潮のにおいがつよいところって、ほかにないんじゃないかな」
 野沢の部屋には、入口と別の隅にもう一つドアがついていた。その外にうす暗い廊下があって水道栓とちょっとした流しがついていた。そこで伸子はボール箱からカロリン米を鍋にうつして洗って来た。そして野沢の大きいデスクのはじへアルコール・ランプをおいて鍋をかけた。玉子、果物が、紙袋のままそのわきに置かれている。鍋の番をする伸子は、デスクへ横向きの位置にかけていて、はなれたところに蜂谷と、寝台の上の野沢と、ゆったりした三角形の二つの点になって話している。
 男二人は、ソヴェト同盟の五ヵ年計画について話していた。「リュマニテ」は、アメリカの恐慌、世界の資本主義生産の矛盾とするどく対照する新事実として、ソヴェト同盟の五ヵ年計画第一年度の成績が、ソヴェトの人々にとってさえ予想よりはるかに好成績であったことを告げている。ソヴェト同盟の経済年度は、十月で区切られる。一九二八―九年の経済年度に、新事実として公表された生産向上の五ヵ年計画を、資本主義の国々では、例のソヴェトの誇大な計画だとか、実力のない共産主義者のこけおどしの妄想だとか批評していた。重工業の生産技術がおくれているソヴェト同盟が、おとくいの国家計画《ゴス・プラン》なるものの、自己陶酔で描き出した「巨大な光栄ある計画」を実現する現実の根拠をもっているとは思われない。外国の専門家たち、実業家たちの意見はおおむねそういう風であった。
 伸子は、五ヵ年計画について、ぼんやりした理解をもったまま、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]から来てしまっていた。ソヴェト同盟の生産は、本来いつも国家計画《ゴス・プラン》にしたがって行われて来ている。それぞれの生産部面は、映画制作でさえも、ゴス・プランを検討して、行っている。年々に実行されて来ている生産計画が二八―二九年経済年度から一九三三年までの五年間に、特別五ヵ年計画として意義をもつのは、この五年間に生産各部門が、これまでの平均生産額を、倍から二倍以上に上昇させる計画であるという点であった。そのことによって、ソヴェトの人民は自分たちの社会主義社会を、一層現実的に強固な基礎におくことが出来る。資本主義生産の破綻にうちかって、社会主義国家の独立と自由をまもり、戦争挑発をうちやぶることができる。
 新しく企てられる五ヵ年計画についてどの論説も、演説も強調している点は同じであった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]でそれらをたどりたどりよんでいたころ、伸子は、声に出して「わかっている《パニャートノ》」ということがあった。そのくらい、五ヵ年計画について語られるすべての言葉は一致していて、この計画の意味は明瞭である。と、伸子は当時思っていたのだった。
 文学的な角度からモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の生活にはいった伸子は、世界経済について全く貧弱な知識しかもっていなかった。階級的生産の知識が不足なところへ、伸子はいきなり彼女流の率直さでソヴェト同盟の計画生産の方式を
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