る朝、伸子のそばへよって来た。
「こんにちは、マドモアゼル」
「こんにちは」
マダムとつけるべきところだろうが、伸子にはそう云えなかった。
「マドモアゼル、お部屋は見つかりましたか?」
「いいえ」
それをきくと細君は、自分の胸の厚さでおすようにして伸子をエレヴェーターのものかげへひきよせ、指環のはまっている片手を伸子の腕の上において、ひそひそ声で半ばおどすように云った。
「マドモアゼル、おわかりでしょう? お部屋を早くおみつけなさい。わたしは、毎日、うちのひとをなだめているんですよ、あのかたは教育のあるマドモアゼルなんだからって」
「ペレールに住んでいるわたしの家族が十月末にはパリから出発します、それと同時に、わたしも引越しましょう」
「おお! マドモアゼル、それは、わかっていますよ」
アパルトマンの門番からでもききだしているらしく、ほんとにそのことは知っているくちぶりだった。
「でも――今月末!」
細君は息を吸いこんだまま伸子を見つめて、かぶりをふった。
「マドモアゼル、部屋をおさがしなさい。あなたがいい方だということは、わたし、よくわかっているんです。ね? よございますか? マドモアゼル」
それは、いい子だからねとくりかえして、いやがる使いに娘を出そうとするおふくろの言葉のようだった。
七
伸子の部屋さがしの中途で、両親がジェネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ立つ日が来た。
前の晩、おそくまで多計代の手伝いをして、つや子の部屋に泊った伸子が目をさましたとき、窓の外に雨が降っていた。
こんな天気で立てるのかしら。伸子はそう思った。多計代は和服だから、雨降りだと不便なばかりでなく、また気分がわるくでもなるのではないかと思った。
本来ならば、おととい、親たちはジェネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ行っていたはずだった。朝十時の列車にのる予定で出た泰造と多計代とは、ペレールの住居で伸子とつや子が、もう汽車にのりこんだだろうかと話しているところへ、不機嫌な顔を並べて戻って来た。多計代の気分がわるくなって、どうしても出発できなくなったのだった。
泰造は、病弱な妻をつれて旅をしているためにおこるそういう不便にはなれて来ていても、多計代が云った何かのことで、ひどく傷つけられているらしく、
「伸子、おっかさんを見てやってくれ」
びっくりして出迎えた娘たちにそう云ったなり、やっと客室の長椅子にたどりついた多計代の方は見ないで、外出してしまった。
体のなかに苦しいところがあって、しゃんとかけていにくいらしく、多計代は肩をおとして、片手を長椅子のクッションの上につきながら、もう一方の手で、ものうそうに帯あげをゆるめた。
伸子は、できるだけいそいで、その帯あげをとき、袋帯をほどき、その下の伊達巻や紐類をゆるめた。おはしょりがゆるんで派手な訪問着の前褄がカーペットの上にずりおちた。
つや子がいれて来た熱い緑茶を、ゆっくりひとくちずつのみながら、多計代は、
「お前がたのお父様ってかたは、いったいどこまで見栄坊なんだろう」
苦しさはそこにあるという風に、多計代は息をきらしながら云った。
「わたしの健康より、浅井さん夫婦に気がねをする方が先なんだから、あきれたもんだ。どんなに偉いのかしらないが、さきは、若い人たちじゃないか」
浅井夫妻は、国際連盟関係でジェネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]に駐在している人々であり、泰造にとってはもともと儀礼的な知人でしかなかった。その人たちが、出迎えたり、ホテルの世話をひきうけてくれていることについて、人に迷惑をかけまいとする泰造が、出来るだけ予定を変更したがらなかったこころもちは、伸子に察しられた。
伸子は、多計代のそういう言葉にあいづちをうつ心持がなかった。足が冷えないように白い足袋の足の下にクッションをおき、寝室からもって来た羽根ぶとんで、動くのも大儀そうな多計代の体をくるんだ。
「ベッドに入っていらした方がいいんじゃない?」
しばらくして伸子がすすめると、多計代は故意に顔をそむけるようにした。
「さあさあ、とんだ御厄介をかけてすまなかったね、伸ちゃんも行くところがあるんなら、さっさと出かけておくれ」
「…………」
みんなが苦しむのは、多計代の不健康よりも、こういうこじれかただった。多計代の体がわるいことについて、家族のみんながもっている同情や心づかいの優しいこころに、多計代はいつも自分からつっかかってとげ[#「とげ」に傍点]をたてた。
「――病気が事務的に解決できるものなら、わたしだって、何もこんなに苦しみやしない」
なか一日休養して、けさ、ようやく出直しの出発だというのに――。
窓の外にふる雨を見ながら、伸子は身じまいをした。そ
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