完成」「未完成」「性格」というようなものを何か固定的なもののようにもち出している。同志貴司は同志小林の性格における宿命的特徴のように「偏狭であった」ということを強調し、さながら同志小林の日和見主義との妥協ない闘争は、その「偏狭さ」の現れであったかのような印象を読者に与えている。
「気質」というようなものをただ抽象して固定化させるとすれば、それは極めて非弁証法的であり、危険であると云わなければならない。レーニンは裏切り者カウツキーによって偏狭どころか、偏執狂とさえ云われた。そしてそれがデマゴギーであることは、歴史が証明しているところである。

          三

『中央公論』四月号には、同志小林の長篇小説「転換時代」が言語に絶する伏字、削除をもって発表されている。きくところによると、この題は『中央公論』編輯者によって変えられたもので本来は「党生活者」という題であるらしい。そして、去年の十月頃執筆されたものであるそうである。
「党生活者」は、その親しみぶかい沈潜した文章をとおして、ボルシェヴィキーの気魄を犇々《ひしひし》と読者に感銘せしめる小説である。「オルグ」を書いた時代、前衛を描きながらも同志小林自身の実感はその境地に至らず、描かれた人物だけがどこやら公式的に凄み、肩をいからしているような空虚なところがあった。「党生活者」において前衛である主人公の全生活感情は闘争と結合して、生々と細やかに描き出され、こしらえものの誇張や英雄主義が一切ない。日本のプロレタリア文学は、この「党生活者」において謂わば初めてボルシェヴィク作家によって書かれた真のボルシェヴィクを持ったのである。このプロレタリア文学の鋭い進展を思って、無限の鼓舞と激励を感じるのは決して筆者一人ではないであろう。
 支配階級があらゆる反動文化機関を動員して、プロレタリアートの前衛についてデマゴギーを撒きちらしつつあるとき、この「党生活者」は、よくその陋劣な欺瞞を粉砕するものである。

 長篇の一部故、次回にどう発展するか待たなければならない。四月号に発表された部分についてだけ云うと、主人公である前衛が大工場の職場を弾圧によって失ってからの経過が大部分を占めている。前衛が職場の大衆の裡にあってどう活動するかという課題は、第一回に書かれている前衛の不撓不屈なボルシェヴィキ的精神の根源でありまた具体化、実践の場
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