をまいたあげくにさとに逃げて行ったんだものだからやけ半分でよけいにひどくなったんだよ」とここまでおっしゃって一寸煙草を一服なさる。こんないいやさしいお祖母様が長いきせるで煙草をのんで紫のけむりをわに吹いていらっしゃる所はあんまりにつかわしくないと思って紫のけむりの行方を見つめて娘の様子を思い出して居ると「それであんまり娘も可哀そうだから初めのうちこそ意けんもして見たが四十を越えた男のやけはもうなおるものでないと村のものももう意けんはしないが娘が可哀そうだからいらないものでも持って来れば十銭や十五銭はきっとかってやるのさ」とおっしゃって「ほんとに可哀そうにねー」とつけたしをなさる。「ほんとにまあ、可哀そうだ事、それにずいぶんなお父さんですこと」とお話が終ると一所に私の口からすべり出した。「家はどこですか」「あの一番池の北の堤の下の松林のわきにあるそりゃあみじめな家なんだよ」とおっしゃる。見えないとは知りつつ一番池のけんとうを見る。清の家はかげも形も見えなく只向う山が紫の霞にとざされているの許がはっきり目に見える。熟柿くさい息をハーハー吸[#「吸」に「ママ」の注記]きながら売上りの銭を目の前にならべて今日の売高がすくないと小さい娘を叱かりつけて居る恐しげな父親の様子が思い出されて、娘が可哀そうだと思う心は尚々まして来る。そのよくよく日も四日許置いてからも又小さい包をもったお清の姿が水口の前にあらわれた。そのつどに小さい手にはいくつかの銭がにぎられた。
私の知って居る人でやっぱりお清さんと云う名の人が居る。年頃も丁度同じくらいで。
東京のお清さんは大変しわわせで居る。
幾人もの女中にかこまれて心配な事と云えばお花見の前の空模様ぐらい、それは、幸にくらして居る。
名も同じ年頃も同じ娘でありながらどうしてこう二人の身の上はちがうだろうと私は不思議でならない。父親がしっかりしないため、それは云わずと知れて居るけれども、私はどうしても不思議でならない。私も苦労をしらない娘だからかも知れないけれども、同じ娘でもこう違っても思うと何だか口をきいてみたいようになった。今日はめずらしく国分の前でお清に会った。私は口をきこうとして近づくと上目を一寸つかって走りぬけて行ってしまった。私はあの恐しげな父親は私と同じ娘をこんなにいじけさしてしまったと思うと泣きたくなるほどうらめしかった。
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