を現わして行ける心持になったりして居ます。
 そして、其那ときには、落着いた心で自分をながめ人を知り、一歩一歩を焦立たず悲しみにおびやかされず進んで行ける様になった二十四五の人が此上なく羨しくなって来るのです。
 ほんとうに、もう少し動かされなくなったらどんなに好いだろうと思います。
 けれ共有難い事には、此の一二年同じ動くにしても、或る一点の支点だけは不動に確立して居る事を信じられる様になったのは嬉しい。
 只それ丈で、どんなに動かされても堪えられ幾分ずつなりとも育てられては行きますけれどまだまだ私の心は若すぎると思わずには居られません。
 まるで赤坊と同じです。
 赤坊が風車を廻されて驚き、舌出し三番《さんば》の舌を見て泣き出すと同じ等[#「等」に「(ママ)」の注記]な驚きをし泣き方をして居ます。
 ほんとうに動かされたくない。
 けれ共又そうかと云って、世の中のどんな事でも平気になって仕舞って、ニヤニヤ嘲笑いながら苦しんで居る者、育とうとして悩んで居る者を見下す自分を想像する事は尚たまりません。
 そんななら寧ろどんなにでも動かされて苦しむ方がどれ程好いか分らない。
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