、事に当って見ると、先ず結婚の世話に迄のり出せば勢い会社がそれらの人々の生活保障に責任をもたねばならないこととなり、手当を一人分だけですませなくなるということなどから、関係会社は一向気のりして来ないのだそうだ。「むすび会」は事実上高級社員、確かな人物という範囲でだけ動いていて、社内一般の労務者の生活のよろこびの源とはなっていないわけである。ここに、営利会社というものの本質からの撞着の姿があるし、働く男女のおかれている社会の条件のむきつけな露出もあると思う。
 国家が賃銀制その他をきわめてゆくからには、働く女のための施設について、制度としてそれを各工場や経営に行わせてゆくのは決して不可能なことではない。今日の常識は、明日の日本のためにそれを極めて当然な緊急時としているのである。
 社会的な働きと家庭との間で女を板ばさみにしている荒い現実は、変な心理にも歪んで表現されているのではなかろうか。たとえば、この頃ちょいちょい耳にする二人連れへの咎めだても、人気の時代的な荒っぽさにつれて女というものへの何か動物的な偏見の心理が感じられる。働く女がこんな勢で殖えているのだから、働く男女らしい傍目にも
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