速に崩れて来ているのだが、それならばそのような今日の状態が、男も女とともに家庭経営についてやってゆくように成長したという、社会感情の明るい進歩の証明であるかというとそれは決して簡単に云い切れないと思う。男の日常的な関心がそこまで高まったというよりは、生活資料の問題からそこまで低くひろがらざるを得なくなって来た、という風なのではなかろうか。男の社会生活の面のひろいということが、いわば卵についても干うどんについても家庭にだけこもっていた主婦たちよりより積極な解決の方法を見出しやすくしていて、餌を運ぶ男としての役割が逆行的にふえて来ている。そんな工合に、男のひと自身には今日が感じられている面もあるのではないだろうか。所謂《いわゆる》非常時の暮しとしてそれが受けいれられているが、家庭とか妻とかいうものについての根本の考えかたには変化ないように思われる。根本に変化はないままに、家庭の女といえどもより働くのが当然という感じかたが加わって来ていると思う。
 働く女という甲斐甲斐しい表現を、今日の日本の現実にふれて女の働きと置き直して観察すると、実に複雑な問題がうずたかくある。婦人雑誌の表紙や口絵が、
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