的に知るからである。そして、その不自然な点や非条理なところについて、一般の女としての立場から自分にも周囲にも求めるところを自覚し、仕事に対する自分の責任を全うする努力を通じて、新しいよりよい条件を創り出して行こうとする、その積極な骨おしみをしない生きる態度を身につけるからであると思う。
 生活のために働くひと、それから自分の人生に求めるところがあってある仕事につく人、それらの人々にとって、今いったような点は、痛切に感じられるにちがいない。しかし、自分としてそれほどはっきりした心の動機なしに、人ごみに押されて門をくぐるように職業の門をくぐる若い女性たちは、その点、明らさまにいって何かしらあぶなっかしいと思う。
 深い責任感とか、義務を遂行するための勇気とか、女を成長させる力を真直に培われることと、職業そのものや同僚の男のひとたちに対する一種の幻滅とを比べたら、どちらがより多い比重で、それらの娘さんの胸の底にのこされるだろう。女の職業を一時的なものとみる社会の習慣の何よりの害悪は、婦人の力がこの社会の必要にとって今は全く欠くべからざるものとなって来ている現実だのに、それに対して周囲の社会も女自身もその重大な意味にしっかりと目を定めて学ぼうとしないで、客観的にも主観的にもとらえどころのない無責任な態度になってゆくことだと思う。
 女の職業は一時的だからといっても、その短期間でも、現代の職業がもっているあらゆる弱点は、精神的肉体的に若い女性の生活へ直接ぶつかって行って、彼女たちをその中へからみこみつつある。それなのに、若い女性たち自身心のどこかに持っている、働くのは一時的だという考えは、それらの社会的弱点に抵抗して自身を成長させて行こうとするまじめな恒久的な実力を、若いひとたちの身につけさせない。そして、若い女性たちは、職業についているという外見上の積極性にかかわらず、その実際では社会の弱点、女を扱う非条理性に負けた姿として自身をあらわしている場合が、決して私たちのまわりには少くないと思う。
 新しい年とともに、私たちは自分たちの職業というものについて、新しいモラルをうち立てなければならないのではなかろうか。これまで何千何万の若い健康な女性たちが職業について、そこで経験して来た苦痛や失望や努力、精励の価値を、さらに新しく理解して、それをもう一歩進んだ明日の女性の生きる態度として自分のものにしなければならないのではないだろうか。
 何故ならば、来年の春からはそのようにして一層おびただしく働く女のひとが群れ立ってゆくのに、婦人の職業上の立場は実際上改善されていない。大体やっぱりこれまでどおり低い報酬と固定して向上の見とおしのない位置におかれたままの状態である。この点の改善の希望は今日深い意味をもって現れている。若い女性たちにとって、新しい職場をもった最初の心持は、どんなに珍しくいきいきと目と心を刺戟されるだろう。けれど、半年か一年経ったとき、これまでの幾万の女性たちが経験したと同じ倦怠と単調さに対する苦痛が彼女たちを襲うにちがいない。それをやっと持ちこしてからは一種の惰力で働きつづけて行くという消極のなかで若いこれからの女性は乾いて萎れて行ってはならないと思う。職業なんて、どうせこんなもんだ、そういう気分に陥っては自分の若い貴重な命に対しもったいないと思う。
 明日の若い女性たちは、質実な理解で、はじめから今日の状態で職業というものはどういうものかということをちゃんと覚悟してかからなければならない。
 シャロッテ・ブロンテというイギリスの女流作家の小説に「ジェーン・エーア」という作品がある。若いジェーンが生活のために職業を求めて新聞に広告をのせる。すると、何通かそれに対する手紙が来る。ジェーンは一つ一つ開いてみて、最後の一通の求人に応じて行ってみることにきめる。その手紙の内容は、ある田舎の荘園で、女主人は病弱なので家政婦が家事取締りしている。その助手と鶏舎の監督をする健康な飽きっぽくない若い婦人を求めているのであった。ジェーンは、その手紙をくりかえしてよんで考える。この手紙には何一つ特別珍しいことやとびつくような好条件というものがなくて、いかにも仕事に人を入用としているらしい手紙だ。これにきめましょう、と。ジェーンは、外の手紙がどれも何かうまいことのありそうな文句や誘うような好条件を並べているのを見て、若い着実な女性にとって本当に職業らしい職業の口ではないと直感するのであった。容貌とかその他、女性のためにかくされた危険や曖昧さのあることを感じたのである。
 ずっと古く読んだ小説であるけれど、ジェーンのこの気持は働いてゆく女の心の動きかたとして、印象に刻みこまれていて消えない。日本の若い女性たちも社会的に次第に賢くなって来ているのであるけれど、その賢さを、結婚生活には金のある男のひとを相手として選んだ方がよいという風な卑屈さに向けないで、職業についても、自主的な理解をもって対してゆくところまで高めてゆくときが来ていると思う。
 先輩の働く女性たちがあるいは自分をただ傷つけるだけであった職業上の幻滅というものをも、これからの若いひとたちは単純に幻滅とせず、自分一身の上におこったことを、よりひろい社会の今日という背景の前において、女全体の生活の現象の一例として、深く考え、そこから何か改善のためのささやかな可能をも見出して行こうとする。そういう生活的な暖い、まめな気持が必要だと思う。職業そのものがたまらなく面白いというようなことはどんな職業にしろないと思う。たとえば谷野せつ氏の「女子労働に関する報告」を見ても、千三百十四人の工場に働いている若い女性のうち、八〇パーセントは仕事そのものについて「何の興味も持てません」と答えている。そこには、常に苦痛だの困難だのがともなっていて、いわばそれをどうもってゆくかということから女は成長して来ているのである。未来の女性のひろやかでつよく快い生活力への期待は、今日と明日の若いあまたの女性たちが、このように不利であり不備である時代の現実のなかで、なおかつ未熟ながらも精いっぱいによく生きて自分たちの世代の価値を発揮しようとつとめてゆく実際を、ぬいて考えることは不可能なのである。
 自分たちの明日は自分たちの意志でこそつくられてゆく。若い女性たちは、この真実を十分な責任感とともに感じとらなければならないのではなかろうか。自分たちの若い生命がそれに不条理を感じること、反撥すること、それをいくらかでも生活的に訂正して、より若い後からの世代につたえようとする姉らしいやさしさと勇気こそ、常に世代の姉妹としての私たち女の情愛ではないだろうか。
 この頃、あちらこちらといろいろなグループをこしらえて、働く余暇に体育をやったり稽古や勉強をすることがはじまってきている。これは一つの流行であるかもしれないが、やはり働く女のひとの生活をゆたかにする機会としてよろこんでいいのだと思う。地味な、うちとけた仲間で集って、それぞれすきな勉強や稽古をし、ハイキングなどもして、たのしむこともみんなでする気風はいいと思う。これまで勤めと家庭の生活、自分の稽古事は、全然二つのきりはなしたものに扱って来ていた娘さんの気持は、一緒に稽古ごともすることでつまらない見栄だの競争心だのを、もっと集団的な気分にとかされてゆくだろう。
 そういうグループの精神にしろ、やはり自分たち若い働いている女性という現実の責任と誇りの上に立って、その上でひろくゆたかに生活の面をのばしてゆく方向で感覚されてこそ健全である。いわゆる気分のまぎらしどころであっては、従来の若い働く女性たちが、生活の空虚感からお花でも習う、それと質がちがわなくなってしまうであろう。私たちがもし生活に空虚を感じるときは、決してただそれを紛らす方法ばかりを考えてはいけないと思う。よくその空虚の感じを身にしめて、何故そんな思いが自分に湧くか、その根源を心と体のすみずみによく探って、できるだけの努力でその空虚の根をつかまえて、自分が正しいと信じる方向へ処理してゆかなくてはならないと思う。グループもそういう人生的な瞬間に役立つものであって初めて、女の成長のために意義をもち得るのだろう。
 炭の配給についての計画が決定されて、その一つに、アパート住居の独身者には配給せず、ということがあった。私の知っている何人かの若い女のひとたちは、アパートに一人住居して毎日一心に働いている。今日の東京にそういう人が何千人いるだろうか。その女のひとたちに、この冬は炭がないということなのだろうか。社会のために必要な力を日々注ぎ与えながら、独身でアパート住居しているから、その女のひとたちの火鉢はつめたい灰でなくてはならないだろうか。
 ふるえるような胸の思いがここにもある。だからこそ、今年の暮から来年へ向う日本の女の心は、年々歳々と等しいものではあり得ないのだと思う。女がその歴史の意味をはっきりつかんで、体と心で厳冬をしのいでゆかなければならない。女が永い永い未来の見とおしと自分たちの善意と理性への信頼を失わずに、炭がなければ体と体、心と心とをよせあつめて、若い働く女性の誇りに生き、明日を生み出してゆかなければならない。来年という年と、未来のためにもそこを最善に生きようとする私たちすべてに対して、心からの激励と祝福とがあってよいのだと思う。[#地付き]〔一九四〇年十二月〕



底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:「婦人画報」
   1940(昭和15)年12月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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