場面に吸収しようとしている。この二三年来、日本の女の力はおびただしく生産の場面に進み出しているのだが、とくに来年の春からは、全日本の女学校、専門学校卒業生に対して、職業紹介所を通じての勤労への動員が行われることになった。一昨年あたりから、小学校を卒業した少年少女たちが、職業紹介所の統制のもとに驚くべき数で産業に従って来ている。来年の春からは女学校を出る人々が労働のための新しい力の源泉として調査され、職場を与えられて行くことになったわけである。
 これまで、生活上の必要から就職した若い娘さんたちはどっさりあった。また、ただ家にのんべんだらりとしているのは苦痛で、少しでも自分の社会生活が欲しくて、職業についた人というのも少くはなくなって来ていた。これらの場合はどちらにしろ、職業につく自分としての動機は明瞭に自覚されていたと思う。特に、経済上の必要は直接なくても、一人の若い女として社会における自分の生活というものを経験したくて職業についた人たちは、その家庭に物質上のゆとりがあるだけ、ある場合には昔のものの考えかたの伝統に自分の希望というものを対立させて、その主張を経て、職業をもって来ているようなこともあったにちがいない。
 来年の春から行われる勤労への招集は、経済上の必要に立つ人にとって不安なく就職口をもたらすばかりでなく、さらに、社会的生活の経験として職業につく決心をしている人たちにその実行をたやすくさせるのみならず、これまでなら、上の学校へゆくほどの好学心もなく、さりとて自発的に職業の場面へ身をさらしてゆくほど積極な生活力ももたず、家にいて漫然と家事の手つだいをしているような娘さんをも、おそらくは大量に職業の場面にまねきよせるだろうと考えられる。これらの人々は、もしかしたら大した深い考えや気持もないままに、いわば時代の偶然として自分の前へひらかれた職業の門をくぐって行くのかもしれないと思える。あなた、どうするの? そう、じゃ私も母さんにいって勤めるようにしちゃうわ。そんな会話が、あるいは上級生の間にあるだろう。遠足か何かにゆくように、ねえ母さん、誰さんも、誰さんも、ゆくのよ、いいでしょう? ねえ。そういわれた母親たちは、それじゃあまア、すこし勤めて見て工合がわるいようだったらすぐにやめればいいから、勤めて見るのもいいだろう、と許す。そんな気にもなるだろう。一般がそうなれば、むしろ女学校を出て、上の学校に入るのでもなく、勤めもせず、これまでのように家にいる、と申告することにかえって何かの決心を求められるような心理になって来ると思える。何のために家庭にのこるのか、その理由が自分にはっきりわからなくては安心されない心になると思う。
 物事の推移は微妙で同時におそろしい力をもっている。それは、この一つの気持の変化についても見られるのではないだろうか。
 若い娘さんたちが、女学校を出てからあてのない朝夕を、緊張するだけの熱意ももてないお稽古ごとに過しつつ結婚を待っているというような暮しをやめて、学校からの続きのようにそれぞれのふさわしい職業についてゆくことは、よろこばしいことだといえる。広汎に若い娘さんの職業への進出が常識となってゆけば、自然これまで職業婦人のめぐり会って来た一つの悲劇、男のひとたちは結婚の対手として職業についている娘さんをのぞまないということも変ってこざるを得ない。逆にその娘さんはどうしてずっと家ばかりにいたのだろうか、という質問が生じるようになるかも知れない。そして、男が兵役につくのを当然とされているように女の職業経験がそれに対応するものとして見られるようになるかもしれない。社会的成員の条件の一つのように見られるのかもしれない。そして、それはそれでいいのだと思う。
 けれども、常識というものが社会の歴史の推移のままにそういう風に動いて変って行く時、その常識の内からよりましな人間としての生活を女も男も希望してさらに次の歴史に働きかけてゆく為には、いつの時代でも、常識の変化に身をゆだねる受け身な生きかたばかりでは不十分である。
 常識は合理的な半面と、当面の便宜のために不合理をいいくるめているような一面とを常に持っている。若い世代の誇りと責任とは、常にその新鮮な心と体とで、常識の錆びをふるいおとしてゆくところにあるのではないだろうか。若くて真率な、何故? という問いこそ、その人自身を成長させる原動力だし、社会をすすめてゆく潜勢力ではないだろうか。
 若い女性たちが、来年の春、おそらくは未曾有の数で職業についたとき、そして、半年か一年か経過したとき、その娘さんたちの心にははたしてどんな何故? が生れるであろうか、それをこそ知りたいものだと思う。それらの何故? が、現実でどう解かれて答えられてゆくかという実際にこそ、明日のその
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