の気持は、一緒に稽古ごともすることでつまらない見栄だの競争心だのを、もっと集団的な気分にとかされてゆくだろう。
そういうグループの精神にしろ、やはり自分たち若い働いている女性という現実の責任と誇りの上に立って、その上でひろくゆたかに生活の面をのばしてゆく方向で感覚されてこそ健全である。いわゆる気分のまぎらしどころであっては、従来の若い働く女性たちが、生活の空虚感からお花でも習う、それと質がちがわなくなってしまうであろう。私たちがもし生活に空虚を感じるときは、決してただそれを紛らす方法ばかりを考えてはいけないと思う。よくその空虚の感じを身にしめて、何故そんな思いが自分に湧くか、その根源を心と体のすみずみによく探って、できるだけの努力でその空虚の根をつかまえて、自分が正しいと信じる方向へ処理してゆかなくてはならないと思う。グループもそういう人生的な瞬間に役立つものであって初めて、女の成長のために意義をもち得るのだろう。
炭の配給についての計画が決定されて、その一つに、アパート住居の独身者には配給せず、ということがあった。私の知っている何人かの若い女のひとたちは、アパートに一人住居して毎日一心に働いている。今日の東京にそういう人が何千人いるだろうか。その女のひとたちに、この冬は炭がないということなのだろうか。社会のために必要な力を日々注ぎ与えながら、独身でアパート住居しているから、その女のひとたちの火鉢はつめたい灰でなくてはならないだろうか。
ふるえるような胸の思いがここにもある。だからこそ、今年の暮から来年へ向う日本の女の心は、年々歳々と等しいものではあり得ないのだと思う。女がその歴史の意味をはっきりつかんで、体と心で厳冬をしのいでゆかなければならない。女が永い永い未来の見とおしと自分たちの善意と理性への信頼を失わずに、炭がなければ体と体、心と心とをよせあつめて、若い働く女性の誇りに生き、明日を生み出してゆかなければならない。来年という年と、未来のためにもそこを最善に生きようとする私たちすべてに対して、心からの激励と祝福とがあってよいのだと思う。[#地付き]〔一九四〇年十二月〕
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:「婦人画報」
1940(昭和15)年12月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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