い人間の生活の可能を発見しようとしてのもがきであり、試みであり、輾転反側であることは疑いないことを確信していると思う。しかし、よりよい可能の発見のために試みられる努力にも、実に錯綜した条件が働きあっていて、多くの予想しない矛盾や錯誤がおこって、すべてのことは一朝一夕には解決しない。そうかといって、希望がないのかといえば決して希望は失われていない。歴史の消長は強い底流れとなっている社会の必然をはなれてあり得ないのだから、よりよい可能が発見される前奏として、もっとも甚しい混乱や紛糾や欠乏が来ることも十分あり得る。そのような歴史の波に、人間が個々の生活者としてうちまかされるか、それともその歴史に働きかける力となってその混乱をより正常な方向にむけるために役立ち得るかということは、めいめいが社会の歴史に対して抱いている遠い見とおしに立っての判断と確信の有無によるのだと思う。
 信念をもって生きよ、ということは、この頃私たちの日常にしきりにきこえている声である。いろんなところで、いろんなことについて、信念がいわれている。
 だが、信念とはどういうものなのだろう。信念というものは人間の心のどういうところをよりどころとしているのだろうか。信念ということはすぐ自信と同じものだといって、いいのだろうか、それともどこか異っているものなのか。
 手近い実際について考えてみたいと思う。これまでは、日本の女子中等教育は、よい妻よい母をつくることを目的として行われて来た。明治三十二年に女学校令というものがきめられて以来、女学校と中学校とは同い年で小学校を終った男の子と女の子のための学校でありながら、五年を終業したときの程度は、ずっと女の子の方が万事について低いものとして肯定されて来ている。専門学校、大学というものに到っては、女の子のために申しわけめいた設置しかなくてきている。日本の女の徳性は、家庭にあってよい娘、よい妻、よい母となるのが完成の目的であって、よい妻、よい母となることはあるいはたやすいことと思えでもしたのだろう。その大事業に対する女の責任を全うするためには男と同じような頭脳の鍛錬は必要なことと見られていたのであった。
 今日も大体そのような女学校教育がつづいている。ところが、歴史の強力な変化は、若い女のひとが学校を卒業したらすぐ家庭でお嫁入りの仕度にとりかからせないで、社会的な勤務の
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