したりするときホーム・ドレスで大働きをする主婦たちは、昼飯でもすんでからは、すこし気持のちがう午後の服に着かえるのが、洋服暮しの国々での普通の習慣である。そして、夜もうお客もないくつろぎの時間には、ゆったりとした寛衣にかえて、床に入る迄の休息を楽しむ。男のひとたちにしろ、その時刻には窮屈な上着はぬいで部屋着にくつろぐのである。
 一日のうちのこういう変化は、簡単であること、働きよいこと、金をかけないことと一致して、私たちの生活にもっととり入れられていいことだと思う。衣服にこういう変化を持てるということは、とりも直さず家庭での仕事、外での勤労が規則的に行われること、簡単に着換えられる衣類の形であること、生活の感情の多様さが活かされている社会の雰囲気であるということを語っていて、そこに簡単簡素ということは単調と同じものではないという事実がはっきり示されるわけである。
 自分のことを考えてもつくづく思うのだけれども、日本の服装は実に閉口的に複雑であって、しかも単調だと思う。使わなければならない紐の数、小物の数、いかばかりだろう。その一つ一つに神経がいる。けれども、全体の形は少くともこれ迄は、
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