だけの輝きほか、自分を照すものはない。而も、発育したい希い、より完美な芸術を創始したい熱情に鞭打たれた場合、少くとも自分は、惨めに焦慮する心持を知っている。それが、如何に統一を破るかも知っている。そのために翻って、どんなに製作に向っての無私が必要だか、意識下の均衡が大切だか思い知らされているといえるのである。
真向からの熱中、努力、緊張を意識した意気込みは必ず作品の、深静な生命の流動を妨げるものではあるまいか。ただ、真剣に頭に血を上らせて詰め寄せたとても徒労に終る、徒に鋭く、細かく、頭を働かせて事象を描こうとしても、写るものは影ばかりだ。計らず、企らまず、対象に向ってあるがままの我を、底の底まで沈潜させる。極度の静謐、すっかり境界がぼやけ、あらゆる固執を失った心と対象との間に、自ら湧き起る感興、想念と云うもので先ずその第一歩を踏み出すのが創作の最も自然な心の態度らしく感ぜられ始めたのである。何たる沈黙、沈黙を聞取ろうと耳傾ける沈黙――人が、己の愛す風景に向った時、必ず暫くは右のような謙虚な状態に陥るだろう。やがて徐々として確に、感情が目醒め始める、或る時は次第に律動が高まって終には唱わぬ心の音楽ともなろう。
その微かな閃光、その高まり来る諧調を、誤たず、混同せず文字に移し載せられた時、私共は、真個に、湧き出た新鮮な創作の真と美とに触れられる。昔、仏像の製作者が、先ず斎戒沐浴して鑿《のみ》を執った、そのことの裡に潜む力は、水をかぶり、俗界と絶つ緊張の中に存するのではなく、左様にして後、心を満たし輝かす限りないポイズの裡にあるのではないだろうか。
[#地付き]〔一九二一年十二月〕
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「婦人倶楽部」
1921(大正10)年12月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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