にオルガンがあり、壁に音階表がかけもののように下っていた。裁縫室は音楽室にもなるのであった。田代先生といういつもシングル・カラーをして薄い髭を生やした音楽の先生が、唱歌を教えた。その先生は、冬の寒いとき、子供たちがつい八つくちから手を入れて懐手をしているのをみつけると、そらまた、へそを押えてる! と注意した。上級の女の児は、そう云われることを大変きらった。田代先生は髭のついている口を大きくあけて、男のどら声のような声で、しかし音程は正しく「空も港も夜は更けて」というような単純な歌を教えた。
 その室のとなりに教員室があり、子供たちにとって、教員室というところは、なみなみの思いでは入って行けない別世界であった。一人でさえ威風堂々たる先生たちが、二列に並んだ塗テーブルに向いあってぞっくりとかけて居られ、その正面には別に横長テーブルがはなれて置かれていた。そこのテーブルは校長先生の席であった。子供たちは校長先生の白く長く垂れている髯と、うすいあばたの顔を思い出すと黒いフロックコートしか思い浮ばなかった。校長先生はそれほど特別の偉さであった。式は、女の児の三年から六年までの教室をぶっこぬきにしたところで行われた。わたしたちは、そういう式場で「螢の光、まどの雪」という歌をうたい、涙を眼に湛えて誠之を卒業したのであった。
 コの字に建てめぐらされた木造二階建の真下が女の遊び場で、左手にずっとひろがった広い砂利敷のところが男児運動場であった。そっちに年を経た藤棚があって、季節になると紫の花房を垂れた。その下はうすぐらくて、いい匂いがした。蜂がたくさん花房のまわりをとんだ。
 からりとした男児運動場のところへ、ベビー・オルガンをもち出して、六年女児は体操の時間にカドリールとコチロンを習った。タータタタと空に響くオルガンのメロディーにつれて、えび茶や紫紺の袴をつけた六十人ほどの少女が、向い会って、いっせいにヨーロッパ風に膝をかがめ、舞踏の挨拶をするのであった。その運動場は、トタン塀にかこまれていて、黒板塀の方に桜の樹が並んでいた。その樹の下の地面には毛虫の落す黒い丸い粒があった。教員室と裁縫室の窓はこの運動場に面していて、当番のとき水のみ場のわきにある小さい池の掃除を、いいこころもちで高い声で唱歌をうたいながらしていると、先生の顔が上の窓から覗くことがあった。覗かれると、どうかしても
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