と身をなして、風にふかれて翻」る我身という関係において、謳っているのである。
 ロマン派の諸詩人達が西洋でも東洋でもこのんで「鷲」を題材とするのは、何と興味ある一つの通有性であろう。『若菜集』の後に出た『一葉舟』で、藤村は「鷲の歌」を抒事詩風にうたっている。ここで藤村は雄渾な自然「削りて高き巖角にしばし身をよす二羽の鷲」の、若鷲の誇高き飛翔を描き「日影にうつる雲さして行へもしれず飛ぶやかなたへ」という和歌の措辞法を巧に転化させた結びで技巧の老巧さをも示しているのであるが、「春やいづこ」にしろ、やはり『若菜集』に集められた詩と同じく、自然は作者の主観的な感懐の対象とされている。移りゆき、過ぎゆく自然の姿をいたむ心が抽象的にうたわれているのである。
『夏草』には、前の二つの詩集とちがった要素を加えて自然がうたわれ初めているのが見える。愛すべき「小兎のうた」には農村の生活、作物に対する農民の心配と小兎との関係が、人間の側の心持から、写実的に、簡素に修飾すくなくうたわれているのが私達の注目をひく。「うぐひす」には、これまでの詩の華麗流麗な綾に代る人生行路難の暗喩がロマンティックな用語につつまれつつ、はっきり主体をあらわしている。「野路の梅」にも同じ傾きとして、浮薄な世間の毀誉褒貶《きよほうへん》を憤る心が沁み出ている。これは、『若菜集』によって、俄に盛名をあげた藤村がこれまでと異った身辺の事情・角度から人生の波の危くしのぎがたいのを感じた心の反映として深い興味を覚える。
 この境地から脱し、当時の文壇の騒々しさから脱しようとして、二十八歳の詩人藤村は「もっと自分を新鮮に、そして簡素にするところはないか」と求めた。信州|小諸《こもろ》「古城のほとり」なる小諸の塾の若い教師として藤村が赴任した内的な理由は、そこにあったと思える。
 都会の遽《あわただ》しさや早老を厭わしく思った時、藤村は心に山を描いた。幼心に髣髴《ほうふつ》とした山々を。故郷の山を。明治三十二年から三十三年までの一年に編まれた『落梅集』は、実に明らかにこの詩人が、歩み進んで来た成長の道、生活の路を語っている。
『若菜集』におけるあの婉《しな》やかな曲線的表現は、「常盤樹」に来て、非常に直線的な格調をもちはじめた。用語も、和文脈から漢詩の様式を思い浮ばせる形式に推移して来る。「常盤樹」にしろさらに「鼠をあわれむ」「炉辺雑興」「労働雑詠」等に到って、この詩人が、小諸の農村生活の日常に結びつくことで、こんなに自然を観る態度が異って来たかとおどろくばかりのものがある。三四年前、「されば落葉と身をなして、風に吹かれて翻りつゝ」ロマンティックな文学的放浪にあった時代の作者は、『夏草』において次第に自然と自己とを平静に対置して眺めあわせることを学び、『落梅集』に来ては、人間あっての自然、人間生活によって眺め、関係されるところの自然、労働の対象としての自然を眺めることを、生活から学びとっているのである。現代の農民が野良に出てゆく時の複雑な心理を、その「労働雑詠」がとらえていないということを、きびしく云うには当らない。それらが、美化された労働・労働を眺めるもののロマンティシズムにたって謳われていることだけを云々するのは妥当を欠くであろう。藤村の歴史性、個人の境遇的な特質が、こういう風に積極的に人間と自然との結びつきを謳ってもなお歴然たるところに、未来の詩人たちへのかくされた可能なこの示唆があると思う。
 小諸で暮すようになったその年、若い詩人で塾の教師である藤村は、冬子夫人と結婚した。「小諸へ行ってから更に大いに心を安んずることが出来た。」と書いている。落梅集に「枝うちかはす梅と梅」「めぐり逢ふ君やいくたび」「あゝさなり君の如くに」「思ひより思ひをたどり」その他少くない愛の詩が収録されていることも、当時のそのような事情とあわせ考えるとき、おのずから微笑ましく肯けるのである。
『落梅集』が詩人藤村にとって、少くとも今日までのところは最後の詩集となっている。小諸生活、良人となり父となって境遇の一層社会性の豊富になった日常は、藤村に「詩から小説の形式を択ぶように成」らしめた。
 詩から小説へと移ったこの重大な転換の動機は、これまで藤村自身によって、その文筆的労作の中にこまかく分析されてはいないようである。様々の複雑なものが絡み合っているであろう。けれども詩では謳い切れず、表現しきれぬものが、社会生活から彼の精神に呼びかけるようになって来たことが、その動機の一つをなしていることは確かである。
「千曲川のスケッチ」は、詩から小説へ移る間の足がかりとして、藤村の全作品の系列の中に深い意味を保つものである。この時代、日本文学の動きのうちにホトトギス派の写生文の運動がおこり、現実生活と芸術との関係について
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