、私はすっかり神経質になり、強さが引っこみかかった様な様子になって仕舞ったのである。
地面から三四尺ほか上って居ない所にあるそれ丈の隙間は、明るい部屋の中をのぞくに充分である。
私は何だかそこが気になった。
どうやら眼玉がギラついて居そうでやり切れない。そこで私は、目をつぶる様にしてぴったりと其処を押えつけて、本を重しにかって置いた。
けれ共、間もなく振返って見ると、パクーンと又口を開いて居る。
これではどうもたまらない。
私の強さは、もうちょんびりぼっちほか残って居ない様な、情ない有様になって来る。
燈を消そうかとも思わないではなかったけれ共、うす暗い部屋の中に、ポツネンと滅り込みそうになって居なければならない事を思うと、又それもいやである。暫くの間、カーテンの隙間ばかりを気にして居た私は、じいっとして居るよりは、まだましだと家中のしまりを見廻り出した。
しっかりしまって居る戸まで、泥棒はきっと斯んな手付きでやるのだろうと思って、わざわざこじって見たり引っぱって見たりした。
そして、そうやっても動かなければ私は安心したけれ共、少しでも隙が出来たり何かすると、弟共の机を持って来てけつまずきそうな所に置いて見たり、箒をよせかけて、泥棒が戸を破ってソロソロと頭を出すと、いきなり箒の柄がバターンと倒れて来て、いやと云う程横面を張り倒す様子を想像して、独りでホクホクして居た。
水口には、大バケツだの盥だのがウジャウジャと積んである。
湯殿の口には小さい妹の行水盥に水を一杯張ったのが、縦横に張り板をのせて据えて居る。
家中の、凡そ口と云う口には皆、異様な番人が長くなったり尖ったりして置いてあったのである。
私はこれなら大丈夫だと思った。
とにかく、今夜だけは大丈夫に違いないと安心した。まして、朝来た巡査は、今夜は御宅の周囲を注意して置きますと云って呉れた事を思い出してからは、益々心丈夫にならない訳には行かなかったのである。
こうやって立って行く四時まではどんなに、のろくさと、変な心持であった事か。
私は漸う世界が明るくなって来るまでは、若し泥棒がだんびらを下げてヌッと立ちはだかったら、どんな風に落付いてやろうか。
ちょくちょく新聞に出るよその偉いお嬢さんや奥さんの様に、お茶を出しお菓子を出したあげく、御説法をして、お金をちょんびりやって帰す様な事が出来でもしたら、それこそ剛儀なものだ。
けれ共、うっかり私がそんな真似でも仕様ものなら、お茶碗は茶□[#「□」に「(一字分空白)」の注記]の上で跳ね廻るだろうし、お菓子なんて何を喰わせるか知れたものではない。
それよりも一素、矢張り私一流の狸をかまえるのが、一番巧いだろうと云う事を、しきりに考えつづけて居たのである。
底本:「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社
1981(昭和56)年12月25日初版
1986(昭和61)年3月20日第5刷
初出:「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社
1981(昭和56)年12月25日初版
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2009年1月29日作成
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