いう反抗が、猛然と胸のうちに湧いて来たのである。
 失望に代る何か一種の激しい緊張に、彼女は振い立った。
 進め! 勇ましく汝の道を行け。心が鬨《とき》の声をあげた。そして、彼女の道を遮り行く手を拒むあらゆるものに向って戦いが宣せられたのである。
 これから、彼女にはまるで理由の分らなかった自分と周囲との不調和、内から湧こうとする力と、外から箍《たが》をかけて置こうとする力との、恐ろしい揉み合いの日が続いたのである。
 個人的傾向と、一般的方則の衝突。誰でも感じなければならないこの不調和は、主観のみの世界に閉じこもって、客観的な妥当性をまるで具備しない魂の燃え上るがまま、美点も欠点も自分の傾向の赴くままに従っていた彼女の上において、特に著しかったのである。
 けれども、生れたばかりの赤子が、どうして彼の赤子であることを自覚しよう。それと同様に、すべての内在的原因を自覚し得ない彼女は、ただ衝突する周囲の者を見、自分の延そうとする手を否応なしに折り曲げさせようとするもののみを感じたのである。

        四

 ―月―日
「真面目であれと云われる。それだのにほんとの真面目さは圧《お》し殺され、自信をもって進めと云われつつ、引き戻されるのはなぜか」
 彼女のその頃のノートは、こういう種類の言葉に満たされてある。
「自分の一生懸命な質問は、明かに弱味を見せたくなさ、尊敬を失いたくなさに根差している虚勢で、お為ごかしの否定を与えられ、また或る種の人々は、彼の口軽な、頓智のいい戯談《じょうだん》で、巧にはぐらかしてしまう。それで自分がすまされると思うのか、今に忘れるだろうとでも思って、そんな当座まぎれをするのだろうか、非常に、非常に不愉快な心持がする。

 経験の尊ぶべきことについて、屡々語られる。真に経験は尊い。けれども、その尊ばるべき経験は、いつも年長者の経験のみに限られているのはなぜか、我々の経験をすべて参考として、お前達自身の経験をより深く、より価値のあるものとせよとは、なぜ云われないのか。
 ―月―日
 あまりに、あまりに婉曲《えんきょく》な辞令、便宜上の小手段、黙契をもって交換的にする尊敬の庇護、私は皆、嫌いだ。
 広い広い野原に行きたい。大きな声で倒れるまで叫んで駈けまわりたい。大鷲の双翼を我に与えよ」
 けれども、これ等の断片的の文句よりは、どうかして出されずにあった、或る人への手紙が、一番よく彼女の云いたかったことを云っているように思われる。青い小形の紙に、Aさん、私は今こんな話を思いつきました。
という書き出しで、細かい字がぎっしり七枚の紙を埋めている。それは多分十五年と十六年との間の冬に書かれたものらしい。

「昔、昔、或るところに一人の王様があった。
 彼は生れたときからどうしたのか、耳殻が両方ともついていない。立派な王冠の左右へ、虫の巣のように毛もじゃもじゃな黒い穴ばかりが、ポカリと開いていた。
 その様子が非常に滑稽だったので、子供達や、正直な若い者は、皆、
 王様は立派でいらっしゃるが、あの耳だけはおかしいなあ、
と云ったり、笑ったりした。
 もちろん王様自身も気が気ではなかった。が、どうすることも出来ないのでいつもいつも自分の不仕合わせな耳のことばかり考えておられた。
 ところが或る晩、王様がよく眠っているところへ来て、しきりに起すものがある。びっくりして王様が剣へ手をかけながら起き返っていると、裾の方に、だんだら縞の着物を着た一寸法師が揉手《もみで》をして、お追従笑いをしながら立っている。
『お前は、一体何者だ、夜中に何の用がある』
 王様は少し安心して訊ねた。
『ハイ、私の無上に尊い王様、私奴は陛下のお耳のことにつきまして上りました』
 一寸法師は、一層腰を低くしながら云った。
『何? 儂《わし》の耳のことで来た? そうならなぜ真先にそう云わん。さ、もっと近く来い、寒くはないか……』
『有難うございます、陛下。実は真にいい考えが浮びましたので、一度はお耳に入れて置きたいと思って上りました。御免下さいませ』
 一寸法師は、王様の白|貂《てん》の寝衣の肩へ飛び乗った。そして、真黒な穴へ、何か囁くのを聞いているうちに、王様の顔は、だんだん晴々として来た。
『ホホウ、これは妙案だ、フム、実に巧い!』
『いかがでございます、陛下』
『実に妙案だ、さぞそうなったらうるさくなくて気が楽じゃろうてハハハハハハハ』
『ヒヒヒヒヒヒヒヒ』
 一寸法師はどこかへ消えてしまった。
 翌日、総理大臣が来ると、陛下は早速書物机の上から、羊皮紙へ立派に書いた、新らしい詔を取って、
『早速実行せよ』
と云われた。開いて見ると、国中の人民は一人残らず耳殻を切り取れ。なぜなれば、神の選び給いし国王に耳殻が与えられていないのは、それが無用の長物であることの動かすべからざる証である。慈悲深い王は、我が愛する国民に、無用の長物を負担させて置くに忍びない。と書いてある。
 自分の耳を切るのは厭だったので、総理大臣も一生懸命に忠告した。けれども、王様は神の命令であると云って取り合われないので、とうとう仕方なくその日から国中の人民が、泣きながら、耳殻を切られた。
 十日ほど経って、王様は国を巡邏《じゅんら》されて、どこもかしこも、自分と同じ者ばかりで、もう一言の悪口も聞かれないのに、すっかり満足させられて、思わず王|笏《しゃく》を振りあげながら、万歳! と叫ばれた。そして、彼は、もう世の中のあらゆる不幸を忘れてしまった。
 ところがその年の暮れに、急に隣国の兵が攻め寄せて来た。王様は早速、適当な兵を送り出して置いて、いつもの通り瞬く間に勝って来るのを、王宮の暖いお寝間の中で待っておられた。
 けれども、どうしたのか、兵は、却って隣国の者に追いまくられ、散り散りばらばらになってしまったので、また、二度目の出兵が必要になった。ところが、その二度目も負けて、三度四度と、兵隊のたくさんが出されたが、どうしても勝てない。そして、とうとう、もう這っている赤坊の男の子ほか国中にいなくなってしまった。
『いったいこれは何事じゃ? え? お前の政治の手腕は国を滅すことほか出来ないのか、馬鹿奴、どうしたらいいというのか!』
 王様が泣きながら怒鳴る前で、宰相は、これもまた涙をこぼしながら、
『陛下、恐れながら、耳殻のございました時分、我々の憐れむべき国民は、一度の戦に負けたこともございませんでした』
と云って、お辞儀をした」
 この話を貴女は、どうお思いになります。もちろん、馬鹿馬鹿しい滑稽なことには違いありません。けれども、耳を切られ、殺されてしまわなければならなかった国民に、私は同情せずにはいられません。そして、その同情は即ち、これと同様な位置にある自分への同情であることはすぐお分りのことと思います。
 こんな話を考え出すほど、このごろの私は、不安やら反抗やら、圧迫やらに苦しめられているのです。
 いつぞや、御一緒に買った「あの本」の中に(多分智慧と運命のこと。)
「生命は我々に与えられている――その理由は知らない――けれども、それを弱からしめんためでもなく、また軽卒に振り捨ててしまうためでもないことは、確である」
という言葉のあるのをお思い出せなさいますか。
 ほんとになぜ私は命を授けられたのか、それはこんな貧弱な頭で解ろうはずはありません。けれども、これほど微妙な生のあらゆる機能、自分で平気でいるのが、ときどきこわくなるほど微妙な作用を無言のうちに行って、今のところでは、それが次第次第に成長して来るのを感じているときに私は、どうして自分の生きていることは、間違いだと思われましょう。
 先のように遊戯的に死を考えることなどは、もう出来なくなっている私は、はっきりと生きなければならないことを感じております。
 どうしても、生きなければならない。そして生きるなら、出来るだけ正しい、よりよく、より真面目に生きなければならないのは当然ではありますまいか。
 この言葉に対して、否定を与える人は一人もないことは確かです。皆がよくなれと云い、正しくなれと云います。けれども、悲しいことには、私も、恐らくはあなたも、王様には黙って耳を切られ殺されなければならなかった国民と大差ない境遇に置かれているとはお思いなさいませんか。
 王様は、絶対無二、尊厳であり偉大であり完全でありたかったのに、不仕合わせな耳が彼を苦しめる種となったので、悪口、批評の根絶やしをしたくて、皆の耳を自分と同じようにさせて、ホッと安心しました。ほんとにこれなら、先ず大丈夫と思っていたのでしょう。
 国民は、耳をとられるのは厭でも、相手は王様だから仕方がありません。心の中では不平にも思い、神の救いを求めても、王様の口からの命令は、容赦もなくさっさと耳を取ってしまいます。
 そして、暮すに都合のいいように、生れたときから与えられていた一つの宝を奪われた上に、戦では、命までも捧げなければならなかった彼等。命をそういう風な形式で捨て、そういう風な敗亡に陥らせるような原因は王様自身が作りながら、皆が弱いとか、意気地がないとか叱られなければならなかった彼等の仲間の一人になって、一生を終ることが出来ましょうか。
 自分が、この自分以外の誰でもない私が過す一生の、この大切なこのごろを、ただ彼等の手元にあるときほか責任をもたない人に、一時的な、皮相的な教訓と、非難することは知っていても、ほんとに「その人」を育てることが出来ない人々に、自分の全部をあずけて、安心していられましょうか。
 私は、決して、巧くスルリスルリと万事をすりぬけて、楽に「世渡り」をする人間にはなりたくありません。三十年か四十年世の中に揉まれていれば、大抵の者のなれる「世故《せこ》にたけたお悧巧な方」になりたくもありません。私はただ、ほんとの生活がしたい。考えるべきことは、どんなに辛くとも考え、視なければならないものは、どんな恐ろしいものでも視て、真正な生活に、一歩でも一歩でも近づいて行けさえすればいいのです。
 たとい、或る人は声楽家でなくても、美くしい声をもっている方がよいのは、真理です。耳がないよりある方がよいのは、明かではありますまいか。
 そして、それが真理だと解っているなら、例え自分は極りの悪いほど濁った、嗄《しゃ》がれ声であっても、美くしい声をもっている人を讃め、なおなおたくさんそういう人の出てくれることを願うべきではありますまいか。
 私は、そういうことが、心に何の仮面も、虚勢もなしに思える人になりたいのです。
 悪いことはどこまでも悪いと主張し、いいことのためには、何が来ようがビクともしない人間になりたいのです。けれども、そう私を修業させてくれるには、あまり違った周囲であることを思わずにいられません。何でもなくすらすらと、微笑んで過ぎて行けることを、一々考え、理窟をつけ、いいか悪いかと区別をして、自分勝手に泣いたり憤ったりしている自分は、馬鹿だと思う人もありましょう。
 素直な人、おとなしい人、そういう人々に与えられる世間的な快楽や追従は、また賞め言葉は、皆自分から去ってしまうでしょう。けれども、それでもかまいません。かまわなくはなくても心を引き止められ、患わされてはいられません。自分には自分の踏むべき道、生くべき生き方があるに違いないのです。
 そうはお思いなさいませんか。
 私がこうやって、自分の手で書き、自分の頭で考えている通りに、「私の一生」がなければならないのは確かです。けれども、まだそれはどうするのが私の一生なのか分りません。今にそれが分るように、いつかハッと感じられるように心を準備して置かなければならないことを、どのくらい痛切に感じていることでしょう。ふざけている或るときの私のみを知る人、または肝癪が起っているときの私を知っている人はあります。
 けれども、自分を育てて行きたい願望に燃えるときの私、そのために絶えず苦しみ、歎きする自分を優しく見ているものは、やはりこの自分だけほかないのを、このごろになって知り
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