は小川となり、目に見えぬ綾の紅糸で、露にきせる寛衣を織る自由さえ持っていた自分は、今こうやって、悲しく辛い思いを独りでがまんして坐っている。
 自分のすべての幸福と歓びは、皆もう二度と来ないあのときの思い出の中に眠っているのだろう。
 彼女はあのときと、今とのこんなにも違う心持の間に、何の連絡も見出せなかった。
 なぜ自分はこんなにも、辛い思いをしなければならないのだろう。
 大人も、友達も、皆のんきに笑い、喋り、追いかけっこをして遊んでいるのに、たった独りぼっちの自分は、なぜこんなに淋しく、こんなにも悲しい目に会わなければならないのだろう……。
 仕合わせや、楽しさは、皆、皆もうあの女王様や王様と一緒に、捕えられない彼方へ過ぎてしまった。あのときは、すぎてしまった……。もう仕方がない。感傷的な心持の頂上まで来る彼女は、魂のしんから泣吃逆《なきじゃく》りながら、真面目につきつめた心で死を思うのである。
 強情や反抗は、すっかり憂鬱に形をかえ、意地も張りも忘れた彼女は、転換したくてもする方法を知らない心の不調和を感じる可哀そうな子供として、自分の死を想ったのである。
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 昨夜眠ったまま、もう永久に口をきかず、眼も見開かない自分が、冷たい冷たい臥床《ふしど》の中に見出されるだろう。
[#ここで字下げ終わり]
 彼女は、彼女の知っている限りの美くしい言葉で考える。
 両親の驚きと、歎き。自分に不当な苦痛や罵詈を与えた者達は、最後まで正しかった者の死屍に対して、どんな悔恨に撃たれながら、頭を垂れるだろう、白い衣を着せられ、綺麗な花で飾った柩《ひつぎ》に納められた自分が、最後の愛情によって丁寧に葬られる様子が、まざまざと目前に浮み上って来て、涙は一層激しくこぼれる。
 堪らなく悲しい。
 けれども、そのときの悲しみ、涙は、もう生きているのが厭さに落す涙でもなければ、悲歎でもない。
 不幸な若死をした自分を悼む涙であり、死なれた周囲に同情する悲しみである。
 あれほど魂の安息所のようにも、麗わしい楽園のようにも思われた魅力は跡かたもなく消えて、今、死は明かに拒絶され、追放される。
「死ぬのはこわい」という恐怖が目覚めて、大いそぎで涙を拭く彼女は、激情の緩和された後の疲れた平穏さと、まだ何処にか遺っている苦しくない程度の憂鬱に浸って、優雅な蒼白い光りに包まれながら、無限の韻律に顫える万物の神秘に、過ぎ去った夢の影を追うのであった。

        二

 遠い遠い昔の幾百年かの間、我々の祖先の人々が思っていた通りに、あらゆる感情は、ただ胸によってのみ感受され、発動されるものだと仮定すれば、この時代の彼女の全生活は、その感情の宮殿の圏外には、一歩も踏み出さない範囲において進行していたのである。
「考えること」と、「感じること」とは、まったく混同して、彼女自身は、一生懸命に頭で考えたと思っていることも、よく調べてみれば「ただそうだと胸が感じた」ことというに過ぎなかった。
 それ故、あの人のすることは悪い、とか善いとか云うのは、その人の行為が最初、彼女に与えた感動の種類で定められるのである。
 一度、ああ、あの人はあんな下等なことをする! と思ったらその人はもう彼女から拒まれてしまう。
 そして、その人の次の行為がどんなに美しくても、優しくても、いっさい振向かれない心持をもっていた彼女は、従って自分の交際する範囲を狭めて行くのは必然である。
 せっかく、この人こそ自分の友達だと思っていた人々とも、どうしても一致出来ない岐《わか》れ目に来ては、さようならを云わなければならない淋しさ。その淋しさに心を打たれる弱い自分に反抗する心持とが、他のいろいろな不調和と一緒になって、彼女を次第に不自然な厭人的傾向に導いて行った。
 そして、人と話し、人と笑いしている間に、いつともなく緩められて行くいろいろの感情、特に空想や、漠然とした哀愁、憤懣《ふんまん》などは、皆彼女の内へ内へとめりこんで来、そのどうにかならずにいられない勢が、彼女の現在の生活からは最も遠い、未知の世界である「死」の領内へ向って、流れ出すのであった。
 育とうとする力、延びようとする力に充満している彼女のすべての生理状態は、自然的な死という現象からは、かなりの隔りをもっている。
 今にさし迫ったことではないという、潜在的な余裕、安心と、彼女の空想によって神秘化され、何かしら魅惑的な色彩をほどこされている死そのものの概念とが、どんな幸福な若者の心をも、一度は必ず訪れるに違いない感傷的な憂愁の力をかりて、驚くべき劇を描き出すのである。
 その幻想の世界において、彼女はいつの間にかきっと二人になっている。
 確かに呼吸が止まり冷たい、堅い骸《むくろ》となって横わっている自分の前では、もう一人のこれも自分には違いない自分が、厭な辛いことを健気《けなげ》にも最後まで忍び、雄々しい生涯を終った自らを、感歎し、賞揚し追慕して、潸然《さんぜん》と涙を流している……。
 こんな、不合理なことを、彼女自身は何の矛盾も感ぜずに体ごと、その涙の中に沈潜して行くことが出来たのである。
 実に屡々《しばしば》、これと大差ない奇怪な感情の陶酔に貫かれながら、どこにも統一のない彼女の生活は、だんだん彼女の年と、境遇とに比べて、有り得べからざる陰気さの中に、深入りして行った。
 下手な、曲ったような字で、心が唸りを立てるほど漲って来る当もない憤激や、自分にほか分らない悲歎を書きつけながら、彼女は自分が世界中に「唯一人悩める者」のような心持がしていたのである。
 かように、いつの間にか彼女の心のどこかで育っていた、理智と感情との権衡を失した力の争闘は、幾多の朦朧《もうろう》とした煩悶を産んで、小学時代の最後の一年間に、子供らしい無邪気さや、活気や、勇猛心は、皆彼女のどこからも消滅してしまったように見えていた。
 けれども有難いことには、まだ倦怠を知らぬ活き活きとした生理的活動が、あの弾力に満ちた発育力のうちに、それ等の尊い感情の根元だけを辛うじて暖く大切に保存していてくれた。
 何か一つの転機が、彼女の上に新らしい刺戟と感動とを齎《もたら》しさえすれば、一旦は霜枯れたそれ等の華も、目覚ましい色をもって咲き満ちる可能性が、一つ一つの細胞の奥に巣籠っていたのである。
 そして、この非常に要求されていた一転機として、彼女の女学校入学が、殆ど予想外の効力をもったのであった。
 どんなに陰気になっていても、彼女の年の持つ単純さが、新らしく彼女を取り繞った周囲に対して、驚くべき好奇心、探究心を誘い出し、ことごとに満たされ、ことごとに適度な緊張となる新規な習慣や規則が、実に無量の鼓舞と慰安とを与えたのである。
 何だか漫然とした不安や焦躁を感じて、泣きむずかっていた子供を、一歩門の外へ連れ出してやれば、新らしい、珍らしい刺戟に今まで胸に満ちていたそれ等の感情を皆一掃されてしまう。
 もちろん、これよりは深く、複雑な苦痛であったには違いないが、その苦痛を忘れさせるには十分な興味が、彼女にも、今与えられたのである。
 彼女は、始めてホッとした。
 そして、満足の溜息をつき、何だかよく見えないような眼を両手でこすりながら、物珍らしい周囲を見まわした。
 美しい校舎や、森や。しゃんとした友達や、面白い学課や……。
 古ぼけて歪み、暗くて塵だらけだった建物の中で、餓え渇いて、ガツガツと歯をならしていたあらゆる感情、まったくあらゆる感情とほか云いようのない種々様々な感情の渇仰が、皆一どきに満たされ、潤されるのを感じたのであった。
 どれをどうと説明出来ないほど、生活の豊富と、活動の光栄に打たれた。
 隅から隅までたんのう[#「たんのう」に傍点]した彼女は、今までの周囲と比較すれば、問題にもならないほどの趣味性の差異が齎らすどこともいわれない大らかな雰囲気のうちに、ホコッと眼を瞑《つぶ》り、頭を垂れて浸って行ったのである。
 不自然な重圧をようようとりのけられた彼女の無邪気さ、絶対的な従順さが、天にも舞い昇りそうな意気とともに、躍り上り、跳ね上りながら奔流し始めたのである。
 一日中で一番長い放課時間に、彼女はよく、校舎の後を抱えるようにしてこんもりと茂り、いつも青々としている小高い森へ入って行った。
 そこから少し低くなっている彼方を見渡すと、白い小砂利を敷いた細道を越えた向うには、馬ごやしの厚い叢に縁取りされた数列の花床と、手入れの行き届いた果樹がある。
 湿りけのぬけない煉瓦が、柔らかな赤茶色に光って見える建物の傍に、花をつけた蜜柑が芳しい影をなげ、パンジー、アネモネ、ヒヤシンスと、美くしい色と色とを反映させながら咲き続いた花壇の果は、ズーッと開いて、折々こぼれるような笑声につれて、まあるい蹴鞠《けまり》の音を、彼方の空へ反響させる広場が、心持の悪くないほどの薄さで周囲の空気を濁らせながら、その一端を見せている。
 暖く晴れわたった空を画して、くっきりと見える長い校舎の屋根、その上に懸ってまどろんでいるような雲の、柔かい煙りのような輪郭。
 地殻から立ちのぼるあらゆる騒音や楽音、芳香と穢臭とは、皆その雲と空との間にほんのりと立ちこめて、コロコロ、コロコロと楽しそうにころがりながら、春の太陽の囲りを運行する自分達の住家を、いつも包んでいるように思われる。
 二本の槲《かしわ》の古木の間に坐りながら、大気とともに満ち渡るなごやかな、ほっこりとした安らかさを深く深く呼吸する彼女は、髪の毛の先々にまで命の有難さを感じずにはいられなかった。
 ほんとにこれほどの仕合わせ……。
 彼女は、まるで暗闇の中で路を見失ったように、がっかりし、希望がなくなっていた先頃の自分を想い出すと、我ながら可哀そうになって、つい涙をこぼしながらも、あらゆる歓びと希望がより一層よい形で蘇返《よみがえ》って来た今の嬉しさに泣く下から微笑を押えることが出来なかったのである。
 まったく、彼女は復活した。
 確かに順調ではなかった体の工合も、すっかりよくなって、毎晩恐ろしい夢に魘《うな》されることもなく、青かった顔にもいい色に血が潮《さ》して来た。
 そして、自分でもびっくりするほど力の増した彼女は、健康状態が非常にいいとき、誰でも感じる通り、あのピンピンとひとりでに手足が動くような活気に満ちながら、踊るように学校に行き、行ったときと同じ元気で帰って来る。
 疲れだの、倦怠だのというものは、このときの彼女の指一本に触れることも出来なかったのである。
 よく眠り、よく動きながら、彼女は一生懸命に勉強した。
 ついこの間までは、まるで解りそうもなかった、大変難かしそうだと思っていた本も、読もうとさえすれば、必ず或る程度までは理解される。
 まるで、彼女は脳髄がいいスポンジのような心持がせずにはいられなかった。たくさん読み、たくさん考えているときの、あの頭が快く一杯になって、額の辺が堅く張って来る心持。心には何かが確かに遺されたという自覚。
 一方で理性がそろそろと、必要な訓練をほどこされているうちに、彼女の空想は次第次第に現実を基礎とした上に、また彼特有の王国を築いた。
 非常に鋭敏になった聴覚と視覚とが、かつては童話的興味の枯れることない源泉となっていた自然現象の全部のうちに、現実を基礎としたいろいろの神秘を見出し、自分自身を三人称で考える癖が増して来た。
「彼女は今、太い毛糸針のように光る槇《まき》の葉を見ながら、或ることを考えている……」
 槇の葉が美くしく光るのを見ながら、今考えている自分を、また考えている自分がある。
「こんなにたくさんの葉を皆間違いなく、その枝々につけ、こうやってただこぼれた麦粒から、こんなに生き生きとした、美しい立派な芽を出させるものは何だろう、彼女は、白いなよやかな根元から、短かく立つ陽炎《かげろう》を眺めながら考えている」
 考えの進歩につれて、彼女は自分の頭の中へ書いて行く。
 けれども、この第二の自分は、先のように
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