て貞潔がある場合、その自然さ、よろこび、平安の深さは、人間の男女が感ずるすべての愉悦のなかで最も諧調にとみ、創造の魅力に満ちていると思う。
 純潔ということも相対的で、愛するものに対してだけ保たれるべきものだという考えかたがある。では、自分にまだはっきりした愛の対象がない場合、その人が守るべき何かの清純というものはあり得ないのだろうか。貞潔ということは、一面から見れば、その人々の人間的な趣味のよさにかかっているとさえいえる。最も野生な人間は、食えるものは何でも食う。最も非人間的な男女は人間らしさを放棄した性へ還元して、両性関係を生きる。真実に自分を一個の社会人として自覚し、歴史のなかに自分一生の価値を見出そう、生きるに甲斐ある一生を送ろうと希う男女であるならば、どうして、わけもなく、とび散る花粉のような恋愛に自分をよごすだろう。衣服の色、モードに対してさえ趣味による選択のある人間が、どうして最も複雑な愛の対象に、独特な選択がないといえよう。わたしの色、というものがあるからには、私としての愛があるこそ当然と思える。わたしの考え、わたしの生きかた、そして、わたしとしての不屈なる献身というものも生ずる。貞潔は、その男女がこの人生に対して抱いている全体としての操守の一つの表現なのである。常に生きかたの問題の一つである。そういう社会的な人間操持の一つの表現として貞潔を理解する男女は、人間として当然な各自の貞潔を破壊させるすべての社会の悪条件を排除しなければならないと切実に考える。愛を貫徹する自由こそ基本的人権の最も人間らしい要素の一つなのである。[#地付き]〔一九四六年十一月〕



底本:「宮本百合子全集 第十五巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年5月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:「婦人公論」
   1946(昭和21)年11月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年6月4日作成
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