失敗して帰国した兄の知人の家で家事の手伝いをしていた。そこの老夫婦と面白くないこともあるらしい。
「何か職業を見つけて一人で暮したいと思います。到底あの人たちと調和して行くことは出来ないのですから。それに結婚問題もありますし……」
 二三時間いる間に、つまり千鶴子は境遇的に不幸な女性で、その不幸さ、焦燥が話だけではない、座り工合や唇の動かしかたにまで現れているという印象をはる子に与えたのであった。千鶴子は気ぜわしかったと見え、帰り際後手のまましめた格子と門を一寸ばかりずつしめのこしたまま行ってしまった。その隙間を見ているうちにはる子は漠然と憂鬱を感じ、茶器の出ている自分の机に戻った。
 数日後のこと、夜に入って千鶴子が訪ねて来た。同居している老人達とのいきさつが大分込み入って来たらしく話は主として実際の生活法についてであった。老夫婦が金貸しか何かそういう種類の職業で鍛えた頭で割り出し、目下千鶴子にすすめている縁談が、彼女にとって気乗りのしないのは無理なく思えた。然し、その話のみならず、全体として結婚しようか、しまいか、大局に於ての決心がつかない苦しみの方が大きいらしかった。それに、その問題で愈々《いよいよ》家を出る決心はしたが、職業がない。千鶴子は、どこかぎこちなく修飾した言葉つきでそれ等を訴えながら、細面の顔をうつむけ、神経的に爪先や手を動した。
「私――どんな仕事をしてもいいと決心しているんですけれど――」
 はる子は、
「ふうむ」
とうなった。
「今急に心当りと云っても私も困るけれど……貴女どこか当って御覧になって? ×さんの助手をしていらしった経験や縁故で記者か何かないこと?」
「ええ、先生の御紹介で××堂の×さんが×へ紹介して下さいました」
「駄目でしたの?」
「あすこの×さんが、創作をする積りなら雑誌記者になるのは私の為にとらないっていうことでした」
「ああ――本当に×は駄目ね。あすこは、そういう他に自分の目的とする仕事があるような人は採用しないって話をききました」
「その代り、いい小説をお書きなさい。書けたらいつでも喜んで載せて上げますと云って下さいました」
 千鶴子の語気に希望が罩《こも》っていたので、はる子は黙って頷いた。恐らく日に幾人となく、そういう女や男に会う×は、十人が九人迄にそうやって、出世祝いの護符のような文句を与えているのだろう。効験を
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