毛虫のように青いではないか。私の驚きに頓着せず俥夫は梶棒を下した。ポーチに、棕梠の植木鉢が並べてある。傍に、拡げたままの新聞を片手に、瘠せ、ひどく平たい顱頂に毛髪を礼儀正しく梳きつけた背広の男が佇んでいる。彼は、自分の玄関に止った二台の車を、あわてさわがず眺めていたが、荷物が下り、つづいて私が足を下すと、始めて、徐ろに挨拶した。
「いらっしゃい」
ホールへ入りながら、そして、外側はあんな青虫のように青かったのに、内部一面は見渡す限り茶色なのに、また異った暑気を感じながら、私は、
「一寸お昼がたべさせて欲しいのだが……」
と告げた。――これは予定の行動であった。若し第一瞥が余り思わしくなかったら、お昼だけに仕て置こうという停車場での相談を、私は適宜に運用したに過ぎない。
「どうぞこちらで暫くお待ち下さい」
番頭が、ホールの隣の戸を開けた。
南欧風に、中庭を囲んでぐるりと奥ゆきある柱廊づきの二階が建廻されている。やはり緑色ペンキ塗の大きい部屋の鎧戸は閉り、中庭に咲き盛っている躑躅《つつじ》の強烈な赤い反射が何処となくちらついているようだ。私は、必要な場所場所を探険して、戻った。Yは、明治十七八年頃渡来したまま帰るのを忘れた宣教師の応接間のような部屋で、至極安定を欠いた表情をして待っている。
「――支那的ね」
「この位の規模でないと遣って行けないんだな、長崎というところは……」
「――駄目でしょう?」
「どんなだった?」
勝気な女らしく潔癖なYが、気味わるげに訊くので、私はふき出し、少し揶揄《からか》いたくなった。
「そんなじゃあないわ。支那へ来たと思えばよすぎる位よ。――でも――いそうね」
「何が」
「なんきんむし」
「御免、御免! 風呂とはばの穢いのだけはかなわない」
――どうもホテルにいるという気分がしない。すると、幾許もなく、建物の一隅から素晴らしい銅鑼の音が起った。がらんとした建物じゅうにはびこる無気力な静寂を、震駭させずには置かないという響だ。食事の知らせである。
がっしり天井の低い低い茶っぽい食堂の壁に、夥しく花鳥の額、聯の類が懸っている。棚には、紅釉薬の支那大花瓶が飾ってある。その上、まだ色彩の足りないのを恐れるかのように、食卓の一つ一つに、躑躅、矢車草、金蓮花など、一緒くたに盛り合わせたのが置いてある。年寄の、皺だらけで小さい給仕が、出て来
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