で、小さい町の暗さが襖の際まで迫って来るようだ。其日の新聞を読んで居ると、隣りの室で急に電話のベルが鳴った。
「あ、もしもし、下諏訪の二十九番」
 女の声だ。
「一力さんですか、すみませんがお鶴姉さん手があいてましたら電話口へおよび下さいな」
 宵は水のようだから、若い玄人《くろうと》じみた女の声は耳の傍に聴える。
「もしもし姉さん、私《あたし》……わかった? 今ねえ私《あたし》中西屋さんに居んのよ、よれよれって云うんだもの……姉さん来ない? え? いらっしゃいよ、よ、ね?」
「おいおい」
 これは太い男の声が割り込んだ。
「何だって? ハッハッハッ、そんなこたどうでもいいから来いよ、風邪《かぜ》なんか熱いの一杯ひっかけりゃ癒っちゃう、何ぞってと風邪をだしに使いやがる。――う? うむ、そうさ。――じゃ待ってるぞ」
 再び森閑とした夜気。――私共は炬燵にさし向いの顔を見合わせ、微笑んだ。こちらのささやき。
「地方色《ローカル・カラー》よ」
「余り静かだからいい景物だ――でも、わるい妓《おんな》だな」
 程なく
「ああ冷えちゃった」
 立ったまま年増の女の云う声がした。
「お待ち遠さま、今日はごたごたさ、鮪の買い出しが足りなくって騒ぎゃるし、源ちゃんは病院へ行くって出たまんまいつまで経ってもかえんないし……あああ」
 ふっと、私は笑いたくなった。そして云った。
「本当の姉妹かしら――所帯じみてるのね」
「ふうむ――分らない」
「いつ頃っから来てるの、へえ、まあいいやね」
 そんな声がする。
「こんだあ上野公園や日比谷公園へつれてってくれないかね」
「はぐれないようにして貰わなくちゃ。先行ったとき、車で飛ばしちまっただけで何が何だか分りゃしなかったわ、足でちっとも歩かないんだもの」
 東京見物の相談であった。彼等は浮いた声も出さず熱心に話した。
「新宿は二十七日っきりだから、浅川だけだね、参拝するなあ」
「嬉しいねえ」
 年増の女は駭然として
「だけど月経がさ」
と座りなおしたような声を出した。
「フッ!」
「いや女は……」
 男は真面目に云った。
「見たような気はしないし、ちょいちょい、ちょいちょい行きたくって」
「懲りてるのさ私《あたし》、この前名古屋へ行った時、全くどこ歩いてるのか分らなかった」
 女中が、銚子を運んで行った。
「宿賃いくらですってきき合わせたら五円
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