しながら単調でなくて、暫く佇んでみているうちにこの原の風景としての面白さには、草原の右手よりの彼方に聳えている一つの小さい古風な、赤煉瓦の塔の緑青色の円屋根が重要なアクセントをなしているのがわかって来るだろう。その塔をかこんで灰色のコンクリートの塀が延びていて、その一廓の近代的な白い反射にひきかえて、そこにつづく原っぱの左手には、ひろい距離をへだてたこちらからもその古びかたや、がたがた工合のかくせない人家が黒くあぶなっかしく連っている。風雨にさらされつくしたせいだろう。晴れている日の遠目にも、それ等の家々の黒い色に変りがない。原っぱの果《はて》のそういう二階家の一つで、何のはずみか表から裏まで開けっ放しになったりしていると、黒い四角い生活の切り穴のようなそこから樹の一本もない裏っ側の空までが素どおしに見えて、そこにある空虚の感が眺める人の心に沁みこんだ。
原一帯に木がないかわり、左手の端れに桜の老樹が幾株か並木のようにあって、大きくひろがった梢の枝に花が咲き開くと、そちらは東だから朝日をうけた満開の様子が何とも云えず新鮮であった。そしてその桜の色が美しく瑞々しければ瑞々しいほど、その奥のあぶなっかしい長屋の黒さが鋭い対照をなして浮立って来て、そこには油絵具でなければうつせないような濃い人の心をうつ荒廃の美があった。何千坪あるのか、その原っぱに大体こういうようにして均衡が破れているために却って変に印象的になって景色がはまっているのであった。
よくあるとおり、この原っぱを歩道から仕切っている針金の垣根にも、既にいくつかの破れがあった。そこから草の間を縫って、いつの間にやら踏みつけられた小道がある。初めはどれも同じように見えるその細い踏みあとを辿ってだんだんと歩いてゆくと、その一本はやがて次第に左へ左へと、原の端れを三角に走って町から町への近路となっており、中途から岐《わか》れた一本は辛うじてそれとわかるほど細まりながら、丁度例の緑青色の円屋根のついた赤煉瓦の塔の下へ出た。下まで来て見上げれば、その塔の中に見張人のいることもわかる。そのあたりの同じように建てられた家の塀は皆同じように赤煉瓦づくりで、それがどれもこれもメジをはがしたあとのそっくり見える古煉瓦でつくられていて、どうしてこんな煉瓦ばっかり集めたのだろうという疑がおのずとおこったとき、初めて人々は深くうなずく
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