外二三の日本人に逢へり。彼等は皆紳商の子弟にして所謂ゼントルマンたるの資格を作る為め、年々数千金を費す」中略「彼等は午前に一二時間の講義に出席し、昼食後は戸外の運動に二三時間を消し、茶の刻限には相互に訪問し、夕食にはコレヂに行きて大衆と会食す。」とそして、そのような生活は漱石にとって「費用の点に於て、時間の点に於て又性格に於て、迚も調和出来ないから、ケムブリツヂもオクスフオードもやめにした」……と。
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父の性格はケムブリッジ学生の生活と対立するような傾きのものではなかったと思われるが、三十七歳の良人であり父親である貧乏な学生として、テニスをやって見ても大して面白くもなれぬ父の正直な、境遇の相異をおのずから語っている心持を、今日私共はまことに親しみぶかく感じる。
一九二九年の初夏、父は百合子をつれて、ケムブリッジを訪ね、思い出のある大学の建築を一つ一つ説明してくれた。そして笑いながら、「何しろ馬、馬丁と猟犬を何匹も飼っているような学生がいたんだから、こっちは人並のつき合いも出来かねるようだったよ。教授から個人指導をうけるわけだが、そんな金もありゃしなかったしね」と語った。楡の木のかげの公園で、町の若者たちが、学生は休暇で一人も居ない晴々しさで、ホッケーをして遊んでいるのを見物した。
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書簡(一五)
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註。この便りにある写真は、今日も保存せられている。ケムブリッジのガウンを着、帽をいただき、当時の流行で、ひどく先の尖った髭をつけて居る。母はこういう髭を眺めるとき「マア、お父様ったら、こんな髭して!」と云ったものであった。父はその髭をもって帰朝し、九つばかりであった百合子は激しいよろこびと極りわるさと、心に描いていた父とちがっている現実の父の感じとに圧倒され、気分がわるくなったようであった。
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書簡(一九)
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註。この画というのは、巨大な軍服に白手袋の魯国が仰向きに倒れんとして辛くも首と肱とで体を支えている腹の上に、身長五分ばかりの眉目の吊上った日本兵がのって銃剣をつきつけているイギリス漫画である。三十二年後の今日の漫画家は果してどのようなカトゥーンを描かんと欲するか。
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