いる間に、溝の中でつぶされて死ななければならなかった事情を彼等の皮膚の白さがかえはしなかった。社会の非人間的な差別が、皮の色だけにないことをアグネスは痛感している。自身の実感から、出発して、世界経済におけるアジアというものの意味をも知り彼女はインドの運動をも支持した。そして、今日、中国に働いている。単に「風とともに」というコスモポリタンとしての気分からだけ、彼女の自然で自由な国際的な感情があるのではないのである。そしてこの面での彼女は、既に「女一人大地を行く」の時代から、性と婦人問題とに対する理解よりずっと高い成熟を示しているのである。
「大地」「母」「息子たち」「分裂せる家」などで世界の読者に親しまれているパァル・バックが中国を愛する心持と、アグネス・スメドレーの広々とした感情とは、今世紀の二つの女の社会性のタイプであると思う。
 バックが中国を理解し、愛していることは一朝一夕のものではない。そこには彼女の父母が埋まっている。彼女の子供達は中国の乳母と中国の子供たちの間に育った。彼女の全家族の生命が銃弾におびやかされたことがある。バックは、いくつかの貴重な生命を通じて、急激に動く中国を理解しているのである。
 宣教師の娘であり、宣教師の妻であって、バックが、中国の民族的自立の必然を認め、中国の民衆の独自性を理解して中国にキリスト教と宣教師とは必要ないものであると公言していることは、実に一つの驚くべき人間的誠実である。彼女はこれらのものの性質が帝国主義であることもはっきり認めている。彼女の誠実を目醒すだけの力が、民衆の生活に擡頭して来たのである。しかしながら、バックの中国に対する認識のつきつめたところには、東は東、西は西という考えがある。中国が東は東として自主的に民族の複雑な課題を処理してゆくべきであり、イギリスやアメリカの手を入用としないものであるという考えである。これは、その限りでは正当であるし、今日の中国の人々が自分たちの国土の中で行われている分割占拠に猛然と反対している感情とも一致したものである。「分裂せる家」の淵《ユアン》の自尊心ある中国のインテリゲンツィアとしての心理をバックは大変よく描いている。けれども彼女の中国に就ての支持的な立場における東は東という結論も、現代の紛糾した社会関係の中では単純に固執し難いものである。或る場合様々の反動をさえ生むことになる。その点をパァル・バックはどう考え進めているであろうか。
 日本びいきといわれているヨーロッパ人の日本らしさ[#「日本らしさ」に傍点]を愛し支持する心持の表現を、一般の常識あり且つ穏健な日本人が時に苦笑をもって迎えなければならないことがある。日本の美といえば京都、奈良、お濠の景色というのは、ものを知らない観光客だけではない。カソリック詩人のポール・クロウデルも、日本に来たときは、お濠の石垣を詩につくったし、日本の柳、三味線、徳川時代の服装の女を配した夢幻劇をつくった。日本の女の美は昔風のしとやかさ、髷、袂にあるとヨーロッパの女にいわれて、ある当惑を感じない今日の若い女、ジャン・コクトオの日本[#「日本」に傍点]を苦しく感じない知識人があるであろうか。最も当惑することは、ヨーロッパ人が日本を観賞するそういうマンネリズムを、国内的に逆用される場合である。日本のねうちはそこなのだから、と外からの皮相的な日本を見る目を内へあてはめて、利用される場合である。そういう場合は、無邪気で無責任なそして無智な観光者の異口同音さえ、その国の一般人の実際生活の上では案外の重圧と転化して上からかぶさって来ることもまれではないのである。
 バックの中国についての感情は非常に深い。異国趣味なところは微塵もない。全く、彼女はアメリカよりもよく中国を知っているのである。従って皮相的な意味での中国は中国という考えは少しもない。中国のいいところ、ヨーロッパのよいところ、それ等をよく摂取してゆくべきであるという気持がこの精力的な婦人作家の胸中にあることは疑いない。淵《ユアン》と結婚することになる聰明沈着な美齢《メイリン》の言葉でも意味ふかくこの点は暗示されているのである。それにしろ、バックの作品中では、まだ、中国の統一的自主のあとに来る、或は中国の自立してゆく過程の内部に含まれてその有力な契機となっている民族自主の観念の発展性、未来の方向については語られていない。
 バックによって描かれているこの中国の民衆生活の内奥にある積極的な力の側に立って、アグネス・スメドレーが通信員として活動している事実は何と深い、心持をうごかされることであろう。バックは、今日まで動いて来た中国とともに自身の生活を進め、その理解をも深めて来た。昨今の複雑な中国の動きの間に、芸術家としての彼女は更にどう成育して行くであろうかということに甚大な関心がもたれる。東は東、西は西と云う考えをもちつつも、バックは西の心で東を見ているのではない。彼女は、東の心で西へ向って、東は東と云っている。現実の問題として、ここでもバックの眼が碧《あお》く皮膚が白いことは、皮膚の黄色い民衆から彼女を撥《はじ》き出していないのである。バックと同じ眼の色、皮膚の色をもったアグネスがそうである通りに。中国において、この二人の特色ある婦人の文筆活動家たちは、或る渦の中からと、その外からと、働きながらおのずと近づきつつあるように見える。バックが自分で歩いているとも知らず、熱心に周囲の民衆を眺め、共感しているうちに、時代そのものが彼女をすすめて、アグネスの居り場処に近づけつつある。
 バックの最近の作「闘える天使」をよむと、彼女には、もう一つの発展の契機がのこされていることが分る。それは主として境遇的なのである。バックは中国の拳匪の乱にふれた箇処でこう云っている。彼女の父「アンドリウのごとき人物の行為は、たとえ高潔な目的と善良な意志から出た正義にもとづくものとしても、一種の帝国主義として許し難い。――と理性は認めることが出来る。しかも心は戦慄せざるを得ない。なぜなら、その帝国主義排斥のまとになって殉教した人々は善良かつ悪意のない人々であったからである――彼等は盲目的であったが、そのために善良かつ悪意のなかったことに累を及ぼす筈がない。」そして、バックは「これ等二つのもの――理性と心の声は決して妥協できない」理性と心情とは互に正当性を主張して「水掛論になる。正当な断案は下さない」と云って、そのまま次に進んでいるのである。バックには、この作品ではまだ語らずにいる「断案」を次の作のために用意しているのかもしれない。次の作品の主題として「闘える天使」の中では注意ぶかく埋められてあるものなのかもしれない。それにしても、この作品の根本的な限界はキリスト教の信仰そのものへの分析が行われていないことと、この理性と心との対立の中に認められる。人間の行為が、その人の主義ではどんなに善意からされたものであろうとも、客観的事情からは反対物となり得る。その人の正しさそのものさえ相対的関係の中では反対に現れることさえある。これは本気で生きた生活者なら会得せざるを得ない事実である。
 バックが、個人と社会関係とのいきさつについての観察において、彼女のリアリズムを充分に発揮すれば「闘える天使」に語られている理性と心情との対立は、互に水掛論をする対立としてのこったままにはいない筈である。そのような社会の客観的事実と個人の運命との矛盾に傷み苦しむ心情からこそその原因を探求せずにおれない情熱が湧く。理性の活動がよびさまされる。そして更にそのような人間としての惨苦を減らすための努力に歩み出さざるを得ない気持に高められ、統一されるものなのである。ここへ到達した時こそ、バックの作家的輪廓は一層大きくなり、人類に貢献する文学としての質においても歴史的なものとなり得ると思うのである。[#地付き]〔一九三七年七月〕



底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年1月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第八巻」河出書房
   1952(昭和27)年10月発行
初出:「婦人文芸」
   1937(昭和12)年7月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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