それは丸い、其癖ひどく刺戟的な勇ましい音を出したものだ。子供の胸に、一種のセンセイションが湧いた。柔軟な鞣に包まれた肉体が、薄い布を透して肉体を搏つ音。原始的な何ものかが在ったに違いない。(この間来ていたデニショウン舞踊団の男の踊手が、そう云えば、かなりしばしばこの肉体を搏つ、野生な、激情的な音を織込んで利用していた――)そこで、水芸の後に、めずらしくイタリー女のハアプ弾奏を聴いた。日本では、天平時代の絵で見るぎり、今でもハアプは数尠い楽器の一つだから、ましてその頃は珍らしい。父が外国から買って来た絵画の本に描かれているそれと同じハアプが裾の広い黒衣の、髪に只一輪真赤な薔薇をさした女と現れたのだから、私は感歎した。女は随分気高く、美しく、音楽も上手に思えた。ハアプが、ヴァイオリンのようではなく、ピアノのような音なのをその時始めて知った。女は、両手で絃を掻き鳴らしながら、高い、顫える声で三つばかり歌を唄って引っ込んだ。何を唄ったのだったか、果して本当に女が気高かったのか、上手に弾いたか、今になっては判らない。
――それから後――……そうそう、まだもう一度あの坂の中途まで行ったことがあったが――いずれにせよ、あの辺はつい近頃の馴染《なじみ》と云える。
二三度続けて散歩するうちに、何となく感じたのだが、神楽坂というところは、何故ああ店舗も往来も賑かで明るいくせに、何処か薄暗いような、充分燦きがさし徹し切れないようなほこりっぽいところがあるのだろう。布地にでも例えると、茶色っぽい綿モスリンのような雰囲気――つまり、どんなに燈灯が軒なみに輝いても、それを明快にキラキラ反映させる何かが無い、明るさを吸い込んでしまう。そんな心持がする。奇妙なことに、私は牛込区という名をきくと、決して神楽坂ばかりでない牛込全体をどうしても茶色と連想する。どうしてだか茶っぽい。他の色が浮ばない。丁度昼間の銀座ときくと、日光に反射する乾いた白灰色の平面しか思い出せないように。その茶っぽい雰囲気は、山伏町の通へ来ると殆ど黒い程になる。――
八月の或る晩のことであった。私は友達と神田からぐるりと九段を抜けてその茶色っぽき神楽坂に出た。そして、段々矢来の方へ来ると、彼処を通ったことのある人は誰でも知っている左側の家具屋、丁度その前のところを歩いている一人の若い女に目がついた。そこいらで人通りが疎になっ
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