た。その話をきいて、又別の年長の友達が私に一つの漢方薬を教えてくれた。それをのんでいて、いくらかずつおなかのいやな気色を忘れた。
 或る時、湯上りに爪を剪っていた。左の指をずっと剪って、右の方になったとき、思い出すともなく思い出して拇指の裏を見たら、魚のめのようなものは二つ、いつの間にかすっかり消えてしまっている。指紋が綺麗に流れていて、その間に小さい島のように一つだけ楕円形に光ったところが残っている。
 おや、こんなものが出来たと心付いて眺めた時より、おや消えていると思ったときの方が何だかびっくりした。薬を教えてくれた人にお礼がてら魚の目のことを話したら、
「それは、鳩麦のせいですよ」
とはっきり云われた。では盲腸のしこり[#「しこり」に傍点]も、魚の目のようにとかすのかしら、何だか気味が悪いと笑った。
 鳩麦というものだけ買って、戸棚に入れたまま何月か経った。買ったときの私のつもりでは、其れを田舎に暮している私の姑にあたる人に送るつもりだった。まだかっちりと若々しくて、黒い耀いた眼ざしをしているそのひとは、指にたこ[#「たこ」に傍点]のようなものがあって、ちゃんとした装などのときは袂のかげにそっちの手を置くようにしているのであった。
 ところが鳩麦だけの飲みようが私に分らない。売った店にも判らない。飲みすぎて、どこかが薄くなりでもしたら可怖い。それでつい送らずじまいになっていた。
 昨夜、友達が来ているとき、私が座っているうしろの戸棚の中で、盛に鼠が何かをカサコソ云わしている。なんなのだろう。襖をあけた途端、その中につみ重ねてある雑誌類の上を渡って棚の仕切りの間に消えかかっている鼠の尻尾の先が見えた。
「蝋燭! 蝋燭!」
 私は、せっかちな声を出して、その小さい灯かげを戸棚の奥へさしいれて見て、
「どう? 一寸! これ!」
 灯をその位置にかざしたまま体をひらいて友達に戸棚の中をのぞかせた。鼠は鳩麦の袋を破ってそれを喰べていたのであったが、私たちの驚き且つ感歎したのはそのたべようの巧緻さである。鳩麦の、瀟洒な色の、つるりと堅い細長いこまかな殼の胴なかを噛みやぶってみだけ綺麗にたべている。鳩麦の夥しい殼は空《から》の小舟のような軽い粒々をあたり一面に散ってカサコソと鳴るのである。
 鼠がものを齧る音は聴くのはいやだ。ずっと先、上落合の方の家にたった一人で暮していた
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