ないから下らない気兼苦労をする人であった。私は、彼女の総てに朗々としないのが大嫌いであった。妙なことに拘わって、忍耐強い性格のまま執念くやられると、私は憎しみさえ感じた。そして、怒った。怒りながら、私は祖母のために、編ものをした。細かい身の廻りのことにおのずから気がついた。
「いやなお祖母様。この装でお出かけになる積り? 駄目! 駄目!」
 祖母は、ちゃんとした服装を一人でととのえることを知らないらしかった。手荒いように、然し念を入れて、私が襟元などをよくなおした。祖母と私とは、そういう心持のいきさつなのであった。変に哀れっぽい乾からびたパンを見てから、私の裡に在る真実が自分でも判らない一杯さで心に溢れて来た。いやなおばあちゃんという点は依然としてあるが、厭でもよいというような気持、ただ可哀想という心持。――
 父は急いで九州から戻った。帰った日から祖母の容態が進み、カムフル注射をするようになった。十中八九絶望となった。祖母は、心持も平らかで、苦痛もない。私は、父の心を推察すると同情に堪えなかった。父は情に脆い質であった。彼にとって、母は只一人生き遺っていた親、幼年時代からの生活の記念であった。兄や弟、妹たちは皆若死をした。母がなくなれば、妻子を除いて、父は独りぼっちだ。父も若くない。寂しく思うだろう。私は自分が子としての立場にある故か、父を愛し愛している故か、それがひどく父の身に代って思い遣られた。
 十六日の晩、私は息抜きという心持で外出し、外で夕飯をたべた。帰って夜中祖母の傍についていた。翌朝五時頃眠って午後起き、また病室に行った。看護婦の数が殖え、医師のいる時間が延び、家中の生活に昼夜の境がぼやけ始めた。その恭々しい混雑の裡で、動かず、静かにしているのは、祖母だけだ。けれども、凝っと脈搏に注意したり息の音にきき入っていると、祖母はこれまでの祖母とはまるで違い、ひっそりした内密の魂の何処かで、いそがず綿密に何かの準備をしている人のように思えた。手落ちない、この世の最後の仕度にとりかかっているような。傍の私などに窺い知れない内部的なものが生じたようでさえあった。
 臨終は、ごく穏やかであった。細る呼吸に連れて生命が煙のように立ち去った。体は安らかで知覚なく、僅に遺った燼のように仄温いうちに、魂が無碍に遠く高く立ち去って行く。決して生と死との争闘ではなかった。充分
前へ 次へ
全9ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング